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「なぜWBCを自ら辞退した?」巨人・坂本勇人34歳、“崖っぷちの1年”がスタート…昨季は最低成績、阿部慎之助も高橋由伸も苦しんだ「35歳の壁」 

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中溝康隆

中溝康隆Yasutaka Nakamizo

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photograph byJIJI PRESS

posted2023/02/09 17:23

「なぜWBCを自ら辞退した?」巨人・坂本勇人34歳、“崖っぷちの1年”がスタート…昨季は最低成績、阿部慎之助も高橋由伸も苦しんだ「35歳の壁」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

昨年11月末の契約更改で。1988年生まれの坂本勇人は今年で35歳になる

「(掛布自身)今考えてみて問題だったのは最初の4年間だよね。江川とは違って18歳でプロの世界に入った。それで運よく18歳から1軍登録されてね。この18歳から22歳まで、進学していれば大学の4年間に、大人の選手と一緒にやる野球が、とんでもない負担を自分の肉体にかけていたんだろうなというのは、辞めてから実感した」

 坂本も18歳でプロ入り後、1年目の07年9月2日の横浜戦で「8番遊撃」として先発デビュー。翌08年の坂本は、巨人ではゴジラ松井以来となる10代の開幕スタメンを勝ち取ると、ペナント144試合、夏のオールスター2試合、秋のクライマックスシリーズ4試合、日本シリーズ7試合までの全ゲームに出場。しかも、19歳のスペシャルワンはそのほとんどを遊撃手としてプレーし続けた。思えば、坂本はレギュラー獲得後、ショートのポジションを誰かと争ったという経験はない。当たり前のように絶対的レギュラーとして試合に出続けた。その勤続疲労が、昨季は一気に表面化した形になった。

阿部も高橋も二岡も…“35歳の壁”は厳しい

 第一線で活躍し続けたプロ野球選手が直面する、過酷な30代中盤のリアル。過去に坂本がともにプレーした巨人の生え抜きスター選手たちは、35歳のシーズンをいかに戦ったのだろうか。

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 例えば、阿部慎之助は35歳の14年シーズン、「打率.248、19本塁打」と前年の「打率.296、32本塁打」から大きく成績を落とし、翌15年に捕手から一塁へコンバートされている。すでに満身創痍の体は、捕手という重労働に年間を通して耐えるのは難しいと判断されたためだった。

 高橋由伸は09年に腰痛でわずか1打席の出場に終わり、35歳の10年シーズンは前年秋に受けた腰の手術から復帰。116試合で「打率.268、13本塁打」という成績を残すも、走攻守に躍動していた全盛期の姿には程遠かった。やがて、背番号24はその勝負強さで、代打の切り札という新たな役割を担うことになる。

 坂本の前の遊撃レギュラーの二岡智宏は、35歳の11年シーズンは日本ハムで、もうショートの守備に就くことはほとんどなかったが、指名打者や代打として55試合に出て「打率.282、3本塁打」とバックアッパー役を務めた。その二岡と巨人時代に華やかな二遊間を組んでいた仁志敏久は、35歳の06年シーズンは極度の打撃不振に陥り、64試合で「打率.185、1本塁打」と自己最低の結果に終わり、そのオフに横浜ベイスターズへ交換トレードで移籍した。現役の同僚では長野久義が、35歳になる19年から人的補償で広島へ。主軸として期待されるも、新天地では72試合で「打率.250、5本塁打」と、前年の「打率.290、13本塁打」からやはり大きく数字を落とした。

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