ぶら野球BACK NUMBER
「なぜWBCを自ら辞退した?」巨人・坂本勇人34歳、“崖っぷちの1年”がスタート…昨季は最低成績、阿部慎之助も高橋由伸も苦しんだ「35歳の壁」
posted2023/02/09 17:23
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph by
JIJI PRESS
「私、寒気してきましたね。しっかりと仕事してますよ! リードからキャッチングからね、これがまたチームがひとつになるきっかけになりますよね」
懐かしい試合映像の中で解説席の山本浩二は、緊急捕手としてマスクを被った選手をそう絶賛した。
2009年9月4日、巨人対ヤクルト戦。3対3で迎えた延長11回裏、巨人の加藤健が頭部死球を受け負傷退場する。これで一塁側ベンチには捕手登録の選手がいなくなるが、原辰徳監督は12回表の守備からひとりのベテランにマスクを託す。プロ19年目の木村拓也である。捕手での出場は広島在籍時の99年7月6日横浜戦以来。すでに場内の時計は23時を過ぎていたが、一球ごとに東京ドームがざわつく異様な雰囲気の中、ピンチを招くも最後は空振り三振で無失点に切り抜けベンチに戻る背番号0。それを称えるナインの中に笑顔で、大仕事をした先輩とハイタッチをする細身の若手選手がいた。当時20歳の坂本勇人である。
83試合、5本塁打…“最低の成績”だった
あれから14年が経った。気が付けば、背番号6もあの頃のキムタクの年齢に近付いている。88年生まれの坂本は今年、35歳を迎える。20年には31歳10カ月のセ・リーグ史上最年少で通算2000安打達成。21年には1778試合の遊撃手通算最多出場記録を樹立した。挑戦者の若者は、数々の栄光を成し遂げ、追われる側のベテランと呼ばれる立場になった。しかし、昨季はその順風満帆なキャリアに暗雲が垂れこめる。左内腹斜筋筋損傷、右膝内側側副じん帯損傷、腰痛と三度離脱し、追い打ちをかけるように終盤には哀しみの文春砲スキャンダル……。83試合で打率.286、5本塁打、33打点というレギュラー定着後、最低の成績に終わったのだ。
過去の名遊撃手たちも30代中盤で三塁転向というケースは多く、メディアでは坂本の体への負担を考え、遊撃からのコンバート案も幾度となく報じられた。もちろん本人は可能な限りずっとショート一本でやりたい。一方で昔はミスと指摘されたエラーが、今は年齢的な衰えと判断されてしまう現実もある。
かつて、33歳の若さで現役引退した掛布雅之は、江川卓との共著『巨人‐阪神論』(角川新書)の中で、「松井(秀喜)君にしても清原(和博)君にしても、高校卒で1年目から1軍に出ている選手って、だいたい34歳、35歳ぐらいで大きな怪我をしている」と持論を展開している。