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野村克也の逝去から2年後、“生前の肉声データ”が届いて…楽天・元番記者が明かす“監督退任時の後悔”「東北に来て、幸せだったのか」
posted2023/02/10 11:00
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph by
Genki Taguchi
文字で埋められたA4用紙には、インタビュー実施日と対象者が記載されてある。
<2006.3.2 楽天 野村克也監督>
記憶が蘇る。楽天の監督就任1年目。シーズン開幕前の多忙な時期にもかかわらず、野村は1時間も取ってくれた。昨今では球団によって違いがあるとはいえ、選手のインタビューは長くても20分程度。監督となると10分程度とさらに制限されることもある。これだけの時間、野村と話ができたことが貴重な経験だったと、今になってつくづく思う。
今年1月に『野村克也は東北で幸せだったのか』(徳間書店)を上梓した河北新報の金野正之は、そんな贅沢を3年にわたって堪能した記者だった。
楽天監督時代、地元紙の番記者として…
野村が監督となって2年目の07年から09年までの3年間、楽天担当としてペンを握った。試合前の2時間ほどの練習中、野村は番記者相手にあけすけに喋り倒すのが慣例となっており、金野はほとんどの現場で“独演会”に立ち会った。
「まあ、あの時の私は、ただの『野村ウォッチャー』でしたけどね」
宮城県に本社を構える河北新報は「ブロック紙」と呼ばれる、東北地区の主要メディアである。地元プロ野球チームの情報を伝えることはすなわち、地域の“ステークホルダー”としての役割を担わなければならない。当時は記者として駆け出しだった金野にとって野村と過ごした3年間は、その重責を知らされた期間でもあった。
「新聞記者というのは、記事で読者に問うのが大きな仕事です。あの頃はまだそういう能力がなかったっていうか。そいうことを教えてくれたのも、野村監督だったんです」
この記者としての本分を全うできたのかもしれないと、少し感じられたのが、20年2月11日に野村が逝去してからだという。
連載中に届いた“ノムさんの生前の肉声”
金野が過ぎ去りし時を巻き戻す。
同年に河北新報で短期連載『ノムさんの知恵』を執筆。翌年には同紙のウェブサイトで『今こそノムさんの教え』を、およそ1年にわたり42回も配信した。
ここで役目を終えたと思っていた金野に再び筆を執らせたのも、野村だった。
きっかけは、一通の封書。