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野村克也の逝去から2年後、“生前の肉声データ”が届いて…楽天・元番記者が明かす“監督退任時の後悔”「東北に来て、幸せだったのか」 

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田口元義

田口元義Genki Taguchi

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photograph byGenki Taguchi

posted2023/02/10 11:00

野村克也の逝去から2年後、“生前の肉声データ”が届いて…楽天・元番記者が明かす“監督退任時の後悔”「東北に来て、幸せだったのか」<Number Web> photograph by Genki Taguchi

野村克也は楽天監督1年目のシーズン開幕前に、1時間のインタビューに応じてくれた。写真はその時の様子

 ウェブ連載中が終了間近の22年に届いたその封筒には「感謝」と書かれ、中身を取り出すとQRコードが印字された用紙が入っていた。スマートフォンのカメラを起動してかざす。音声データだった。プロ野球ファンから「ノムさん」と親しまれ、誰もが聞きなれたもごもごとしたしゃがれ声が、金野の聴覚を刺激する。

「人間って『人の間』と書く。人と人の間で生きてるんだ。それをついつい人間っていうのは忘れがちだ。そこに感謝が生まれてくる。年寄りみたいなこと言ってすいません」

 送り主は野村の愛息、克則の妻、有紀子だった。封書には、金野の連載を読んでいた彼女を通じて野村の感謝が代筆されていた。

 <父の記事を書いてくれてありがとうございます。これからも書き続けてください>

 金野はこの時、「人と人の間」にいた。

「俺がシダックス時代の野村監督を書いて道を作ったんだから、今度は金ちゃんが楽天時代の野村監督を書いて道を切り開いてくれ」

 背中を押してくれたのは、スポーツ報知の加藤弘士だった。彼は当時の金野と番記者仲間で、昨年出版の『砂まみれの名将 野村克也の1140日』(新潮社)の著者でもある。

 人が繋いでくれた縁。金野はそれを、どうしても見過ごすことができなかった。

「ふたりの後押しがなかったら、本にしようなんて考えなかったと思います。有紀子さんからのお手紙で、なんかすごくスピリチュアルなものを感じましたし、加藤さんに関しては番記者時代の同士ですから。当時って、『野村好き』を公言してる人って少なかったんですね。加藤さんはその数少ないひとりで、自分はと言えば隠れファンみたいな感じだったんですよ。だから、口に出せなかった、記事に残せなかったものを残したいというか、あの時の自分を覆したかったっていうか」

入社試験で豪語「将来、宮城に球団が来ます」

 金野にとって野村克也とは、まさに「運命の人」と言える存在なのだという。

 宮城県出身ながら、少年時代は近鉄ファンだった。しなやかなフォームで三振を量産する阿波野秀幸に憧れ、優勝を目前としながら悲劇の主演となった1988年の激戦「10.19」を目の当たりにし悲嘆にくれた。翌年にリーグ優勝で雪辱を果たし歓喜したかと思えば、巨人との日本シリーズで3連勝から4連敗で球団初の日本一を拝めず、またうなだれる。そんな思い出が懐かしい。

【次ページ】 野村克也「河北新報を味方にできなかった」

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