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野村克也の逝去から2年後、“生前の肉声データ”が届いて…楽天・元番記者が明かす“監督退任時の後悔”「東北に来て、幸せだったのか」
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byGenki Taguchi
posted2023/02/10 11:00
野村克也は楽天監督1年目のシーズン開幕前に、1時間のインタビューに応じてくれた。写真はその時の様子
河北新報社の入社試験で「将来、宮城県にプロ野球の球団が来ます。これからは地域密着の時代です」と豪語した金野にとって、04年の近鉄とオリックスの合併報道に端を発した「球界再編問題」を経て05年にプロ野球に新規参入した楽天は、いわば近鉄の忘れ形見のようなチーム。理想の実現に血沸き肉躍る心境だったし、翌年には、ヤクルトの黄金時代を築いた名将の野村が監督に就任する。「楽天担当にしてください」。鼻息荒く異動願を提出したのも当然の行動だった。
楽天の黎明期でもあった07年からの3年間、野村ウォッチャーを自認する金野の心が揺さぶられたのが、09年だ。
この年は球団史上初となるAクラスの2位となり、地元・仙台でのクライマックスシリーズ(CS)への出場権が与えられた。にもかかわらず、野村は契約満了に伴い球団から“事実上の解任”を告げられたのである。
野村克也「河北新報を味方にできなかった」
記者の前でぼやけば紙面の見出しとなり、続投を懇願するファンの前で「クビですよ」と首下で手刀を切る様子も話題となった。
そんな渦中で金野は、心をえぐられたような言葉を野村から投げかけられた。
「河北新報を最後まで味方にできなかった」
なぜ野村を続投させるべきなのか――明快に訴えられるほどの取材力や決断力、デスクに推せるだけのプレゼン力。ブロック紙としての使命を果たせなかった記者としての未熟さを、金野は悔いた。
「楽天担当……野村番として書かなければいけなかったことを、書けなかったんです。情けないですけど」
老練の名将と駆け出しの記者。立場やキャリアこそ違うが、同じ表現者である。金野にとって、体制を恐れずに不満を体現する野村の姿は敬意の対象となっていた。
そのことを確信したのが、CS開幕直前の「ベース投げ」だ。後任として広島で指揮するマーティ・ブラウンの名が浮上すると、審判へのジャッジが不服だと示すためにベースを放り投げた彼の猛抗議を、野村が模倣する。
「ブラウン、吹っ飛べ!」
74歳の野村が約6キロもあるベースを全力で放り投げる。その行為は、マスコミへのアピール以上に球団への不服申し立て、皮肉に他ならなかった。
「あ、俺、この人好きだな」
金野は野村への好意を噛みしめた。「やったれ、日本一獲ったれ!」。心でそう念じながらも、表立って後押しできない自分に、ほとほとうんざりもしていた。