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なぜ「守護神ダルビッシュ」は誕生した? 「藤川球児には謝った」山田久志がノートを真っ黒にして考えた世界一の継投術〈WBC連覇のウラ話〉
text by
永谷脩Osamu Nagatani
photograph byHideki Sugiyama
posted2023/02/20 17:23
かつて“継投の魔術師”と呼ばれた山田久志コーチが、WBCにおいて最も重んじたのが“投手陣の輪”だった。守護神ダルビッシュ誕生の裏にあったドラマとは?
また、第2ラウンドの先発ローテーションは、初戦を松坂、2戦目をダルビッシュ、3戦目は岩隈と最初から決めていた。鍵になるのが3戦目の岩隈。そのために、早い段階でどうしても慣らしておきたかった。だから、松坂の後、リリーフで岩隈を1イニング挟み、逃げ切るパターンを作り上げようと考えた。
「フェニックス(宮崎)に来てから、いろいろ試行錯誤をしながら頭の中で考えていたよ。球数制限があるから、継投は必ず必要になってくる。そのために、色々なパターンをノートに書いては消し、消しては書いているうちにあっという間にノートが真っ黒になってしまった」
宮崎合宿から始まった、いわゆる「山田ノート」はすでに3冊目に達していた。その中から勝っている時のパターン、負けている時のパターン、接近している時のパターンの3つを書き出し、原監督とブルペン担当の与田剛コーチに渡した。
与田コーチの分には、投手それぞれから聞いた「肩の出来上がるまでの投球数」が書き加えてあった。
「リリーフ、つまり中継ぎの専門職不足と当初から言われていたけれど、2月15日からの宮崎合宿を通じてわかったのは、この位のレベルの投手になれば、中継ぎだろうが、抑えだろうが立派に果たせるということ。ただ、先発をしている連中は、肩の出来上がりが遅い。それで合宿の時に、一人一人に何球で肩が出来上がるかを聞いて準備することにしたんだ」
与田コーチに渡されたメモは、常々言われていた中継ぎ不足を克服するための、まさに秘策が書かれたものであった。
「このチームになって、原監督とはよう飲んだ」
「監督には投手をどう配置するか理由を話し、心づもりを持ってもらう必要があったし、与田には球数と照らし合わせて準備をしてもらう必要があったからね。このチームになって、原監督とはよう飲んだ。お互い、戦いのことが頭から離れないので、飲んでも酔わない。でも、この緊張感がいい。日本に戻った時には心置きなく酔いたいものだね」
そして、第2ラウンドの初戦で、松坂の力投からリリーフに岩隈を挟んで次にいける事を実際に確認する。2戦目のダルビッシュの投球には、大会公式球に馴染んできた事を感じる。杉内はいろんなパターンで使える事がわかった。次第に13人の投手の中で、アメリカで使える選手と使えない選手の色分けがはっきり出来上がっていった。