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なぜ「守護神ダルビッシュ」は誕生した? 「藤川球児には謝った」山田久志がノートを真っ黒にして考えた世界一の継投術〈WBC連覇のウラ話〉
text by
永谷脩Osamu Nagatani
photograph byHideki Sugiyama
posted2023/02/20 17:23
かつて“継投の魔術師”と呼ばれた山田久志コーチが、WBCにおいて最も重んじたのが“投手陣の輪”だった。守護神ダルビッシュ誕生の裏にあったドラマとは?
「トーナメント式の短期決戦では、使える人と使えない人の色分けが出来てくるのは仕方がない。でも、ダメと烙印を押し、そのまま所属チームに戻すのは失礼だからね。それで、決勝トーナメント進出を決めた後の順位決定戦、プレッシャーのかからないところで内海と小松を登板させた。結果的にはいいピッチングをしてくれた」
この試合、田中、馬原、藤川などが投げ、田中は151キロ、馬原は153キロの球速を記録する。けれど、藤川の最高は145キロだった。阪神では155キロのストレートを投げる投手がである。
「戦っている中で皆、公式球に慣れ、マウンドの硬さを自分のものにしていった。そんな中で球児だけは一向に調子が上がってこない。結局は投球フォームだと思う。岩隈の飛び眺ねるようなフォームが合うようだ。下半身の粘りで投げる球児のフォームは、アメリカの硬いマウンドとは合わない」
アメリカに来てからの、思いもよらない藤川の不調は山田を大いに悩ませた。そのせいもあってか、ホテルの部屋で夜中にぱっと目が覚めて、眠れなくなり、あれこれ考えながらノートにメモを取る日が続いた。
「抑えはダルビッシュにしよう」
その後ロスに移動した練習初日、投手陣が外野に集まり、球速の話で盛り上がっていた。
ダルビッシュもその輪の中で、「96マイルって何キロ? それぐらいは出ていました」とスピード争いの話をしていた。
「自分の晩年などは120キロぐらいしか出なくても打者を抑えられているのに、投手ってどうしてスピードにこだわるのかなと思って聞いていたら、球児が『僕、スピードが出ないんですよ』と言ったんです。調子が上がってこないと一番感じていたのは本人だなとわかったとき、抑えは球に力があるダルビッシュにしようと思った。それで、ダルビッシュを呼んで、『リリーフもあるから準備をしておいてくれ』と伝えたんだ」
ダルビッシュは返事こそしたものの、外野フェンス近くに行きいきなりランニングをはじめた。山田もそれを追ってフェンスの方に歩き出した。