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Jをめぐる冒険BACK NUMBER
「鳥栖を変えてほしい」と請われた川井健太監督の“仮説と指導プラン”が独特!「ミーティングは短編映画のように…」大きかった山形での出会い
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byAtsushi Iio
posted2023/02/08 11:02
鳥栖の川井健太監督。41歳にしてJ1の舞台で采配を振るう指揮官のサッカー哲学やプランニングなどを聞いた
――頭の刺激で言うと、例えば、京都の曺貴裁監督はアンカーを「ホールディングセブン」と名付けたりしていますが、川井監督も独自のネーミングを好んで使われるそうですね。
川井 言葉は作っているほうかもしれないですね。エリアだったり、プレーだったり。守備のフェーズは「ハント」「トラップ」「ブロック」と分けていますし、一般的にバイタルエリアと呼ばれるところを「Dゾーン」と呼んでいるんですけど、攻撃のときは「デリシャス」、守備では「デンジャー」のDです。僕らと選手でイメージを共有できたらいいと思って。そのための言葉ですよね。僕が(カップを手に取り)これを「飲み物」と言ったら、「何?」となるけど、「コーヒー」と言ったら、色も味も匂いも共有できる。だから、選手には「覚えなくていい」とも言ってます。
――「ああ、そこね」と分かってくれればいいと。
川井 はい。その言葉だけで選手がイメージしやすいように、プレーしやすいように、という感じで作った造語が多いですよね。
山形時代、クラモフスキー監督から学んだこと
――約10年間、女子サッカーを指導したことが大きかったという過去のインタビューを拝見しましたが、僕が気になっているのは、モンテディオ山形でのコーチ経験です。あれはどういう経緯だったんですか? パギさんが「健太さんのトレーニングはマリノスと似ている」と。ピーター・クラモフスキー監督から学んだことは多いんですか?
川井 経緯としてはクラブ側に呼ばれました。ピーターと初めて会ったのも山形のホテルでした。ただ、おそらく山形は目指すフットボールのスタイルを思い描いてピーターを招聘した。そこに僕が合うと思ったんでしょうね。実際、ピーターと話をしたら、考え方や信念の持ち方が、これはもう本当に合いました。「負けるなら、前に倒れて負けましょう」と。俺たちは絶対に引かないよと。そこも一緒でしたから。
僕は愛媛(FC)で監督をやって、山形ではコーチ。ピーターは(横浜F・)マリノスでコーチをやって、(清水)エスパルスで監督を務めた。お互い監督とコーチという役割を経験しているという面白さがあった。ピーターからは本当にいろいろ学びましたね。やっぱり外国人って熱量があるので、表現者としてのパフォーマンスの出し方はすごく参考になりました。それにトレーニングでは、かなり任せてくれて、やりがいもすごく感じたし、「この人のためにやろう」みたいな感じになったんですよ。
「素晴らしいチャレンジをしてきてくれ」と
――クラモフスキー監督も、マリノスのコーチ時代にはアンジェ・ポステコグルー監督にいろいろと任されていたようです。
川井 だから、そういうふうにやりたかったんだと思いますね。鳥栖では去年、僕が全部練習メニューを作ってコーチに渡していたんですけど、今年は変えて、任せる部分を増やしています。日本人って全部自分でやらなきゃとか、真面目な方が多い。でも「選手が効率よくトレーニングできて、効果的に勝つにはどうしたらいいか」と考えたとき、全部自分でやることが果たしていいことなのか。
――分業制ということですね。
川井 それは愛媛のときからずっと思っていて。ピーターと一緒にやって、やっぱりこういうやり方もあるよねと。今、彼から学んだことを取り入れてやっています。山形ではまず外国人と仕事ができたことが大きかったし、その外国人が彼だったというのも大きかった。僕が鳥栖に行くことが決まったときも、「素晴らしいチャレンジをしてきてくれ」と送り出してくれた。ピーターはそういう人間でした。
◇ ◇ ◇
後編(#2)では監督就任1年目だった2022シーズンのターニングポイントや監督としての“アイデア”の源、そして来たる2023シーズンに向けての意気込みを聞いた。<つづく>