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近鉄の伝説的バッターはなぜ“大金を貸し続けた”のか? 「300万貸したヤツがベンチの真上に…」豪快エピソードに隠された“栗橋茂の真実”

posted2023/02/14 11:01

 
近鉄の伝説的バッターはなぜ“大金を貸し続けた”のか? 「300万貸したヤツがベンチの真上に…」豪快エピソードに隠された“栗橋茂の真実”<Number Web> photograph by NumberWeb

近鉄「伝説の4番」栗橋茂さん。現在はスナック『しゃむすん』でマスターを務める

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岡野誠

岡野誠Makoto Okano

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 突っ張ることが男の勲章――。昭和のパ・リーグには、そんな価値観を持つ選手がいた。1980年代後半、“ミラクル・バファローズ”と呼ばれたチームの陰で、栗橋茂は晩年を迎えていた。阪神へのトレード打診、伝説の『10.19』で感じた悲哀、引退勧告後のやけ酒……伝説的4番バッターの実像に迫った(全4回の4回目/#1#2#3へ) ※敬称略、名前や肩書き、最多記録などは当時 

 ◆◆◆  

「俺、あれからおかしくなったんだよね」

 1985年、岡本伊三美監督は兼ねてからの構想を実現させる。前年までクリーンアップを打っていた栗橋茂を2番に持ってきたのだ。

「岡本さんは2番最強説だった。キャンプの時から打診されていたんだけど、ずっと嫌だと言っていた。2番だったら8番のほうがいい。西本監督に2番を打たされた時、打順を考えてボールを見極めていたの。そしたら、『2番みたいなことやってんじゃない!』って怒られた。俺はずっとクリーンアップを目指してやってきたし、西本さんもそう育ててくれた。だから、なんか恥ずかしかった。2番はバントというイメージがあったから、自分からバントしたこともあった」

 他球団を見渡せば、2番には小技の効く選手が揃っていた。この年、西武は金森栄治、ロッテは横田真之、阪急は弓岡敬二郎、日本ハムは高代延博、南海はジェフ・ドイルが主に務めていた。彼らの犠打数は弓岡の46を筆頭に全て2ケタを記録した。その時代に、岡本監督は前年のオールスターの全パの5番を据えた。インパクトのある起用だったが、栗橋は『2番』の呪縛に囚われた。

「1番の大石(大二郎)が塁に出ると、俺は走るまで待った。なかなか動かないから、ベンチに帰って『走れよ、おまえ』と言うと、『打っていいですよ』と返される。よく言い合いしてたよ。2番が合わないの」

豪快な打撃を狂わせた「優しさ」

 4番は唯我独尊に振る舞えるが、2番は周囲に気を遣わなければならない。それまでグラウンドでは隠していた優しさが顔を見せた時、打撃が狂った。振り返れば学生時代、父親が病魔に倒れた栗橋は家計を助けるため、中学2年から高校卒業まで毎朝5時に起きてヤクルトを配達していた。余計な心配を掛けないため、帝京商工野球部の若色道夫監督にはその事実を隠していた。

【次ページ】 「断った」阪神へのトレード案

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