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近鉄の伝説的バッターはなぜ“大金を貸し続けた”のか? 「300万貸したヤツがベンチの真上に…」豪快エピソードに隠された“栗橋茂の真実”
text by
岡野誠Makoto Okano
photograph byNumberWeb
posted2023/02/14 11:01
近鉄「伝説の4番」栗橋茂さん。現在はスナック『しゃむすん』でマスターを務める
“近鉄の4番”が引退するまで
優勝を決めた翌日、『4番・DH』で先発出場する。仰木監督は功労者に花道を作ったのだろう。だが、栗橋はそう受け取らなかった。
「自分は引退試合のつもりじゃない。辞めさせるための儀式というか、引退とわからせるための4番でしょ。俺は辞めたくないし、40まで現役を続けたかった。でも、試合に出られなきゃどんどん衰えていくからね」
巨人との日本シリーズ終了から数日後、栗橋は仰木監督から大阪・阿倍野の都ホテルに呼ばれた。「失礼します」と長細い会議室に入ると、仰木が奥から小走りで駆け寄ってきた。
「両手で俺の手を握って『クリ、長い間お疲れさん』って言ったの。ああ、辞めるんだと。仰木さんもしんどかったと思うよ。俺に言うの」
栗橋は「ああ、わかりました」と一言呟くと、「失礼しました」と部屋を後にした。わずか10秒にも満たない会話で、16年間のプロ野球人生は幕を閉じた。都ホテルの廊下を歩き始めると、寂寥感が募ってきた。
「引退なんてしたくなかった。夕方から飲みまくってベロンベロンに酔っ払った。フラフラの状態で家に帰ったから、東京から来ていたお袋が『金村さん助けてー!』って慌てて電話したみたい。そのくらいヤバかった」
光の裏には影がある。『ミラクル・バファローズ』が熱パの主役となった2年間、急速に世代交代が進んだ。西本監督時代の主力である梨田昌孝、吹石徳一は前年に身を引き、この年限りで羽田耕一や淡口憲治も引退。1980年の胴上げ投手である村田辰美は、オフに横浜大洋に金銭トレードされた。彼らは競争に敗れ、若手に道を譲らざるを得なかった。