猛牛のささやきBACK NUMBER
プロ5年で引退→スカウト転身の24歳が1年目から“超いい仕事”…左腕・曽谷龍平を一本釣り「お兄さんみたい」と信頼される理由とは?
posted2023/02/14 11:02
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph by
KYODO
「オリックスバハァローズにはいっています」
オリックスのドラフト1位ルーキー・曽谷龍平(そたに・りゅうへい)は、小学2年生の時に書いた作文を現実のものにした。
小学1年で野球を始めた曽谷少年は、野球が大好きだった。練習は土日だけだったため、週末が待ち遠しくてしかたがなかった。母の香織さんは、「布団の中でグローブをはめたまま寝ていたぐらいです」と回想する。
作文を見つけた母「なにか縁があるんだな、と」
奈良県の実家から近い京セラドーム大阪には車で何度も連れていってもらった。
小2で書いた作文は、8歳の龍平が20歳の龍平に宛てた手紙だったのだが、本人も両親も、その存在をすっかり忘れていたという。一昨年末に香織さんが曽谷の部屋の学習机を整理していたところ、たまたま見つけた。
それがまるで予言だったかのように、約1年後、オリックスにドラフト1位で指名された。
その際に作文のことが話題になったため、父の博一さんがその作文をわざわざカラーコピーして一部ずつクリアファイルに入れ、曽谷が青濤館に入寮した今年1月10日、集まった報道陣全員に配ってくれた。
「バファローズ」が「バハァローズ」になっているのはなんとも微笑ましい。脇に描かれているイラストの帽子にも、しっかりと「オリックス」と書かれており、少年のオリックス愛が伝わってくる。
「努力し続ければ、夢は叶うんだぞというのを、当時の曽谷龍平に伝えたい」と22歳の曽谷は言う。
作文を見つけてから1年後のドラフト1位指名に、香織さんは、「信じられなかったですね、自分の子供がそういうところに立っているというのが。なにか縁があるんだな、と感じました」と感慨深げに語った。
そんな曽谷とオリックスの縁を結びつけたのは、曽谷と2つしか年の違わない、スカウト1年目の岡崎大輔だった。