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「テメエ、この野郎!」絶対服従の監督に反発、一瞬で消えた契約金、バレかけた朝帰り…近鉄ドラ1・栗橋茂が明かす“破天荒伝説”の真相
posted2023/02/13 11:00
text by
岡野誠Makoto Okano
photograph by
JIJI PRESS
◆◆◆
栗橋茂のプロ野球人生は混乱と戸惑いから始まった。
作新学院の江川卓が目玉だった1973年のドラフト会議当日、駒澤大学は学校近くの神社で秋季リーグの優勝祝賀会を開いていた。指名の情報を聞いたマネージャーがピリピリした表情で太田誠監督の元に駆け寄って「栗橋、近鉄1位です」と伝えた。不人気球団の指名に部員はザワつき、男は落胆して仲間の輪から離れて縁側に向かった。その姿を見た監督は「こっち来い! 何を落ち込んでるんだ」と声を掛けた後、まさかの一言を発した。
「おまえ、1曲歌え」
栗橋は仕方なく立ち上がった。
「なんで、こんな時にマイクを握るのかと思ったよ。『網走番外地』を歌わされた。しかも、アカペラだよ。歌い終わって少ししたら、同期の木下(富雄)が広島に1位指名されて、静まっていた場がワーッと盛り上がった。俺の歌はなんだったんだよ……」
やけくそで近鉄入団。契約金は泡と消えた
創設以来一度も優勝がなく、お荷物球団と揶揄された近鉄は1965年のドラフト施行以降、毎年3人以上の選手から入団拒否に遭っていた。幼い頃から東京で過ごしていた栗橋にとって、大阪に本拠地を置くチームは全く馴染みのない上に、指名前の挨拶もなかった。
「合宿所に戻ったら球団代表が来ていたけど、太田監督には『河合楽器に行きます』と言った。ただ、その年から学生が拒否したら、プロは2年間指名できないルールができた。社会人に行ったら(早くて)25歳で入団でしょ? だから悩んだし、近鉄もしぶとかった。迷いに迷って越年したの。そしたら新聞社が実家に押しかけて、お袋が参っちゃってね。『だったら行くわ!』という投げやりのやけくそで入団を決めた。誰も『おめでとう』なんて言ってくれなかったよ」
突然、契約金という名の大金が入った栗橋の実家には有象無象が押し掛けた。