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〈最後の近鉄戦士〉坂口智隆が明かしたあの日…「俺たちどうなんの?」寮のテレビで知った球団消滅 引退スピーチに込めた“いてまえ魂”の秘話 

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佐藤春佳

佐藤春佳Haruka Sato

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photograph byIchisei Hiramatsu

posted2023/01/23 11:01

〈最後の近鉄戦士〉坂口智隆が明かしたあの日…「俺たちどうなんの?」寮のテレビで知った球団消滅 引退スピーチに込めた“いてまえ魂”の秘話<Number Web> photograph by Ichisei Hiramatsu

近鉄、オリックス、ヤクルトで活躍し、昨シーズン限りで現役引退した坂口智隆氏

 坂口は神戸国際大学附属高校から、2003年にドラフト1巡目で近鉄に入団した。高校時代はエース投手だったが、抜群の打撃センスと俊足強肩を買われプロ入り後は外野手に転向。近鉄での2年間はまさに「打者」としての土台を作り上げた時間だった。

「ほとんどが二軍生活。でも、その頃の自分が明確に一軍を目指していたかといわれると、それどころではなかった気がします。とにかく必死の毎日。何とかプロのレベルになりたい、ってそれだけでした」

 そんな18歳に、運命的な出会いがあった。当時二軍の打撃コーチをつとめていた鈴木貴久さんだ。近鉄での現役時代、同じ外野手だった鈴木さんは、坂口ら若手選手に何度もこんな言葉を繰り返した。「三振してもいい」。結果を出そうと必死にもがく駆け出しの選手たちにとって、それは魔法の言葉だった。

「現役生活の20年間、その教えはずっと自分の中にありました。本当に三振しても、貴久さんは何も言わなかった。その代わり、積極性を欠いた打撃には厳しかった。ピッチャーがストライクを取りにきた初球に手が出なかったりすると、めちゃくちゃ叱られました。その教えがあったから、僕は三振が嫌だと思ったことは一度もない。それが積極性につながって、結果的に打撃の手数を多く打てるようになったのだと思っています」

誰もが直せと言う癖を「もっとやってみろ」と…

 もう一つ、坂口にとって幸いだったのは、鈴木さんがその「個性」を決して否定しなかったことだ。坂口のバッティングフォームは、打席で構えた時のバットの先が投手側に向いてしまう癖があった。「ヘッドが入る」と表現されるフォームは、20年前の球界の指導者なら、誰もが「直せ」と指摘する形だった。

「当時は、その形ではバットが遠回りしてボールに対応できないんじゃないか、と言われていた時代でした。それでも貴久さんは一度も直せとは言わず、むしろ『もっとやってみろ』と。もっとやったらこう動くから、とさらに良くなる方法を簡潔に教えてくれた。逆に、僕がかしこまってちゃんと打とうとしたり、流行に流されて目新しいことを取り入れてみたりするとすぐにバレて、『今のままでやりなさい』と言ってくれました」
 

 それは鈴木さんが現役選手だった当時、近鉄の監督だった仰木彬氏の在り方そのもの。型にはめることなく選手の個性を伸ばし、豪快に前のめりに攻めさせる。“いてまえ”の魂は確かに受け継がれていたのだ。

「ユーモアもあって豪快、でもバッティングの話になると繊細で、凄く面白い方でした。貴久さんがいなければ、僕は1年目からファームで3割なんて打てなかっただろうし、その先もなかったかもしれない。プロ野球人生の、軸を作ってくれた方です」

【次ページ】 テレビで知った球団消滅。二軍選手は“蚊帳の外”で…

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