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プロ野球PRESSBACK NUMBER
〈最後の近鉄戦士〉坂口智隆が明かしたあの日…「俺たちどうなんの?」寮のテレビで知った球団消滅 引退スピーチに込めた“いてまえ魂”の秘話
text by
佐藤春佳Haruka Sato
photograph byIchisei Hiramatsu
posted2023/01/23 11:01
近鉄、オリックス、ヤクルトで活躍し、昨シーズン限りで現役引退した坂口智隆氏
しかし、別れは突然やってくる。坂口がプロ2年目だった2004年のことだ。5月17日、鈴木さんは40歳の若さで急逝した。数日前まで二軍の練習で元気な姿を見せていたが、2日前のウエスタン・リーグの試合前に体調不良を訴え、その2日後には帰らぬ人となった。
「急なことやったんで聞かされた時には言葉を失いました。悲しいし、寂しかった……」
坂口はちょうどその日、出場選手登録を抹消され二軍に戻っていた。12日に同シーズン初昇格した一軍で結果を残せず悔しいUターンだった。18日の通夜には、二軍選手全員がユニフォーム姿で参列した。
「辛い別れがあっても、試合は続いていく。なんとか恩返しできる選手になれるように、と。それは心に留めて必死にやっていました。貴久さんの教えは、一軍でちょっとずつ結果を出し始めた時に“ああ、あの時の言葉はこういうことだったんだな”と改めて分かることが多くて、同年代の選手ともよくそんな話をしていました。そうやって貴久さんを思い出すことでもう一度自分も勉強できたところもあります」
テレビで知った球団消滅。二軍選手は“蚊帳の外”で…
時を同じくして、近鉄を取り巻く状況は風雲急を告げる。6月13日、日経新聞が「近鉄、オリックスと合併」をスクープ。「球団消滅」、「1リーグ制」など球界再編へと向かう怒涛の展開が押し寄せてきた。
「正直、僕たち二軍の選手は蚊帳の外というか、全く情報が降りてこなかった。毎晩、寮で夕飯を食べながら今日はどうなった、とテレビで情報を知るんです。俺たちどうなんの? って。よく分からないうちに色々なことが決まっていって……とにかくまだ野球はできるみたいだ、その次には、じゃあどっちのチームに行くんやろ、とか選手同士がそんな話をしていました」
当事者である選手が最も知りたかった「自分達の行く末」を巡る情報も錯綜する。合併して誕生する新球団の優先保有選手(プロテクト)の数や、その条件も二転三転。坂口が該当していた「入団1、2年目までの選手」は当初、28人全員が自動的に新球団のオリックス保有という案もあったが、結局は不透明な状況のまま11月8日、分配ドラフトの日を迎えた。
「自分はオリックスに行くんだろうなとは思っていましたけれど、その過程はちょっとわからなかった。当日は電話で“オリックスだから。オフの間に引っ越してくれ”と言われたような気がします。藤井寺にあった近鉄の寮から、オリックスの青濤館(旧・神戸市西区)へ。秋季練習や合同練習が終わって12月から各自引っ越し。寮の荷物だけなんで、大阪から神戸へ自分の車で運びました」