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W杯を作った“世界一のトロフィー職人”は内気なイタリア人だった 「私にとって毎日食べるパン、愛娘のようなもの」95年の美しい人生 

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弓削高志

弓削高志Takashi Yuge

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photograph byKaoru Watanabe/JMPA

posted2022/12/18 17:01

W杯を作った“世界一のトロフィー職人”は内気なイタリア人だった 「私にとって毎日食べるパン、愛娘のようなもの」95年の美しい人生<Number Web> photograph by Kaoru Watanabe/JMPA

フットボーラーが夢見るW杯トロフィー。これを作ったイタリア人の秘話とは

「我々は石膏とロストワックスそれぞれの原型を所持していますが、FIFAやUEFAから製造ライセンスを与えられているだけで、勝手にトロフィーの数やサイズを変えることは許されていません。UEFAチャンピオンズリーグは毎年1つずつ、FIFAワールドカップ(の公認レプリカ)は4年に1度、1つのみです。代表で活躍した有名選手から『金は出すから個人的に作ってほしい』という依頼はときどきあるのですが、丁重にお断りしています」

 “ワールドカップ”の価値について、生みの親であるガッザニガ自身はこう評している。

「このトロフィーにもう値段はつけられない。あまりに多くの人たちの思いと栄光が詰まっていますから。たとえばブランドとしてのコカ・コーラのように、W杯のトロフィーもこの星で唯一無二の象徴的オブジェと化したかもしれません。一度、中国を旅したときに名も知らない町で食堂に入ったら、天井から(トロフィー偽造用の)鋳型がぶら下がっていたのには参りました(笑)」

トロフィーに光が当たるほど、工房に引っ込んだ

 6年前の晩秋、ガッザニガは95歳の大往生で没した。

 生前、82年スペインW杯と06年ドイツW杯で、自ら作ったトロフィーをイタリア代表が掲げる光景を目にしたとき「個人的に感極まった」と語っている。

 UEFA杯(のちにUEFAヨーロッパリーグに改称)やUEFAスーパーカップを製作した彼にはサッカー界の外からもオファーが絶えず、野球やバレーボール、水泳など各競技連盟の世界タイトル・トロフィーを手がけた。晩年にイタリア共和国功労勲章を賜った彼は、ミラノ市記念墓地で死後も偉人として祀られている。

 “ワールドカップを作った男”の肩書があれば、世界中で何百億と稼ぐ個人ビジネスができただろう。

 だが、彼は自らの作品であるトロフィーに光が当たれば当たるほど、工房に引っ込んだ。晩年、白髪頭と分厚いメガネ姿になっても彼は工房に通い続け、彫金のマエストロ(指南役)として槌とノミを握り続けた。

トロフィーやメダルは私にとって、毎日食べるパンと同じ

 ガッザニガは確かに優れた芸術家や彫刻家だったが、むしろ“世界一のトロフィー職人”と呼ばれた方が彼自身は嬉しかったのではないか。

「トロフィーやメダルは私にとって、毎日食べるパンと同じだった。若い頃の修行時代から、寝ても覚めてもトロフィーやメダルのことを考えていた」

 融合する2人の選手が天体を支えるデザインは、決してわずか1週間でひねり出したのではなかった。少年時代から造形バカ一代を貫いてきたガッザニガの情念が詰まっている。

【次ページ】 愛娘のようなもの。W杯は何度見ても…

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