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「甲子園に4回出て3回優勝」あの最強世代セカンド・山田健太が明かす、“大阪桐蔭の練習”は何が違う?「そりゃあ、強いっすよね」
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph bySankei Shimbun
posted2022/10/17 11:01
大阪桐蔭「2018年最強世代」のメンバー。右端が山田健太
その山田が、3年のセンバツでは6番か7番という下位打線に名を連ねた。
1、2年は主軸→3年時の「下位打線」に納得していた?
秋まで快足のリードオフマンとして打線を牽引していた藤原が、右ひざを痛めていたことで、監督の西谷が打線を再構築。藤原を4番に据えた影響もあった。
センバツでは打率3割6分8厘、4打点、1本塁打。前年に続き甲子園との相性の良さを印象付け連覇に貢献したわけだが、山田は1年から中軸に君臨したバッターである。
監督からは「チャンスで打ってほしいから、そこを任せている」と告げられたというが、果たしてその打順で納得できていたのか?
率直に疑問をぶつける。すると山田は、「いやぁ、(疑問は)なかったっすね」と即答する。
「あんまり打順にこだわりがなかったんで。自分の前を打つバッター(3番・中川、4番・藤原、5番・根尾)を見ても、『そのほうが点は入る』ってわかっていましたし、西谷先生が言うように、チャンスで6番、7番に回ってくることが多かったんで『自分の役割はここだ』って思ってましたね」
山田がこの本懐を体現した打席がある。3年夏の北大阪大会準決勝の履正社戦だ。
スコアは3-4。9回、2死ランナーなし。この窮地から4者連続フォアボールと打線が粘り同点とし、なおも満塁と勝ち越しの場面で6番の山田に打席が回る。相手ピッチャーのコントロールが安定しなかったことから初球は様子を見る。ストライク。「次は絶対に振ろう」。2球目、高めだったが、迷わずバットを振り抜いた打球が三遊間を抜け、ランナーふたりがホームに生還した。
九死に一生を得た勝利。殊勲打を放った山田が、チームの底力に唸る。
「自分は『ごっちゃんでした』って感じだけだったんで、ははは。みんなめっちゃ繋いで逆転したってところに、改めて『このチーム、すごいな』って思いましたよね。誰かが打てなくても誰かが打つっていう信頼感がみんなにあったんで。あの試合で『そう簡単には負けない』って、また自信がつきましたよね」
北大阪大会を制した大阪桐蔭は、甲子園で春夏連覇を遂げた。山田は主に7番を担い、打率3割1分6厘。100回大会での全国制覇を志し、見事に目的を果たした。