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大阪桐蔭・西谷監督「俺だって不安になることはあるよ」…苦悩する「2018年最強世代」キャッチャーに名将が言った“意外な言葉”とは
posted2022/10/12 11:02
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph by
Hideki Sugiyama
かの名捕手、野村克也は自らを月見草と喩えた。現役当時、人気球団の巨人のスーパースター、長嶋茂雄と王貞治をひまわりとし、人目に触れずひっそりと咲く花でいいのだと、野村は語っていたという。ただ、絶大な支持を得る「ON」がいたからこそ、自分もまた奮い立てたのだとも付け加えている。
高校時代の小泉航平も、そんな選手だった。
和歌山日高ボーイズに所属していた中学時代には全国大会の出場がなく、「自分は田舎で結果を出しただけの選手」だと思っていた。高校野球屈指の名門である大阪桐蔭から誘われたのは、高校でもチームメートとなる1学年上の泉口友汰を視察に来た西谷浩一監督の目に留まったからである。
怪物揃いの同級生、“ある先輩”との出会い
2016年。小泉が高校に入学した時点で、同期は「世代最強」と囁かれていた。
中学生ながら、最速146キロのストレートを誇る飛騨高山ボーイズの根尾昂。そのほか、住吉ボーイズの石川瑞貴、志貴ボーイズの宮﨑仁斗、東海ボーイズの山田健太、佐賀東松ボーイズの柿木蓮、枚方ボーイズの藤原恭大、大阪福島リトルシニアの中川卓也と、全国はおろか日本代表を経験する精鋭が集結していた。
小泉にとって、彼らはひまわりだった。
「高校に入る前からいろいろ情報が入ってきて。すごい選手が入ってくるのはわかっていたんで、逆に『自分はまだまだ』って受け入れることができましたよね」
その小泉の台頭は早く、1年生の秋にはベンチ入りを果たした。ところが、大会後の冬に左手有鉤骨(ゆうこうこつ)を骨折。奇しくも同時期に正捕手の岩本久重も同じ箇所を故障したことにより、キャプテンの福井章吾がマスクを被ることとなった。これが小泉にとって転機となる。