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「甲子園に4回出て3回優勝」あの最強世代セカンド・山田健太が明かす、“大阪桐蔭の練習”は何が違う?「そりゃあ、強いっすよね」
posted2022/10/17 11:01
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph by
Sankei Shimbun
大阪桐蔭とは選りすぐりの「個」の集まりである。実力ある中学生が心身のさらなる研磨を求め、この名門の扉を開ける。
甲子園で史上初となる2度目の春夏連覇を成し遂げた2018年メンバーは、入学時から「世代最強」と囁かれるほどのタレント集団だった。
とりわけ、飛騨高山ボーイズですでに最速146キロを計測していた根尾昂、枚方ボーイズで全国制覇を経験した藤原恭大は、入学時から出色の存在感を放っていた。
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その他にも中川卓也や柿木蓮、宮﨑仁斗、石川瑞貴ら、中学時代に名を馳せた選手がいた。強烈な個の集合体であるが故に、「俺が、俺が」と自己主張したくなるようにも思えるが、大阪桐蔭ではそれがない。周囲から根尾と藤原の「脇役」だと見られようが、メンバーたちは「ふたりは実際にすごかったんで、それでいい」のだと、あっけらかんと答える。
山田健太も同じだった。
1年生にして「大阪桐蔭の4番」を経験
中学時代に所属していた東海ボーイズでは、2年に全国大会優勝。3年には根尾とともに中日本選抜で主力を張り世界大会で優勝と、同学年のなかでもトップクラスの実績を誇っていた。
本来なら地元愛知の強豪校への進学も十分に考慮されるべきところ、山田は100回目の記念大会となる高校3年生の18年に「優勝できるチームは」と思いを巡らせた。大阪桐蔭が最も可能性があるチームだと判断し、自らの意志で飛び込んだ経緯があった。
根尾や藤原、中川らと同等、あるいはそれ以上のタレント性を持ちながらも、山田もまた「『俺が、俺が』ってのは全然」と、屈託のない笑顔を向け、はっきりと言う。
「“見てほしい欲”は別にないので。目立つのが好き嫌いっていうより、根尾と藤原は実際にすごかった。ふたりだけじゃなくて、柿木とか中川とかもめっちゃ有名だったし、『自分よりレベルの高い選手がいる』っていうのは百も承知で、覚悟を決めて入ったんで。最初はちょっとビビったりしましたけど(笑)、レギュラーを獲る気持ちだけは失わずに。『やるしかない』って感じでしたね」
野手では根尾、藤原、中川、宮﨑が1年秋から試合に抜擢されるなか、山田は4番に座った。「自分はバッティングが売りだ」と、セールスポイントをひたすら磨き、アピールに成功した結果とも言える。反面、実戦でのパフォーマンスには「納得できなかった」のだと、当時の心情を述べた。
監督の西谷浩一からは「4番だからって気負わなくていい」と送り出され、理解していたつもりでも打席では自信が持てない自分がいる。不安が勝り、気負うまでの精神状態にすら到達できず、凡打を繰り返した。秋の公式戦で29打数7安打、打率2割4分1厘。数字も力のなさを語っているようだった。
「結果的に4番を打たせてもらっていたんですけど、うまくいっているようで全然うまくいってないって感じでした。今思うと『打てるわけないよな』って感じますね」
1年のシーズンオフ。山田はコーチの橋本翔太郎とともにバッティングを見直していた。
大阪桐蔭は「練習が厳しい」と言われているが、他の強豪校と比較してもメニューが異質なわけではない。フリーバッティング、ケースバッティング、シートノック……一般的な練習内容でも集中力が並ではないのだ。