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「もはや背番号55は村上選手」松井秀喜がCSファイナルステージを解説! 三冠王・村上宗隆との最大の違いとは?
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph byNaoya Saunuki / Hideki Sugiyama
posted2022/10/12 11:25
ともに背番号55をつけたスラッガー、ヤンキース時代の松井秀喜(右)とヤクルト村上宗隆(左)
ただ結局、この左右の腕のバランスの悪さは松井さんに最後まで付きまとった。そして日本で55本の壁を乗り越えられなかったのも、まさにそこに原因があったのである。
村上が「左打ち」を始めた理由とは
ただ松井さんと同じ右投げ左打ちで、いわゆる「作られた左バッター」であるはずの村上には、その欠点がない。
実はその秘密は村上が左打ちを始めた理由にあったのだ。
「幼い頃にカラーバットで素振りをさせたら、右より左の方が全然、スムースだったんですよ。それで左で打たせるようになりました」
こう説明してくれたのは村上の父・公弥さんだった。
まだまったく癖のないときから、村上は右より左でスイングした方がスムースに体が動いたし、左手も使えたというのだ。そこで本格的に野球を始める頃には、巨人の高橋由伸外野手をお手本に足の上げ方から、手や体の使い方を覚えさせた(ちなみに髙橋さんが現役時代に「僕が松井さんより優れているのは左方向への打球」と語るのを聞いたことがある)。
「右で素振りさせると、不細工なスイングをするんですよ」
そうやって自然と左バッターとして成長してきたのが村上なのである。
「高校時代に試しに右で素振りをさせると、本当に不細工なスイングをするんですよ」
こう語るのは村上の九州学院高校時代の恩師でもある坂井宏安元監督だった。
同じ右投げ左打ちの打者でも、「作られた左打者」として最後まで左手の使い方が不器用だった松井さんとは違い、村上はむしろ長いものを振るときには、左で振ったほうが自然に体が使える。
無理やり左で打たされたのではなく、自然と左打者として生まれ育ってきた天性の右投げ左打ちのプレーヤーなのである。
そこが松井さんとの最大の違いだった。