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「もはや背番号55は村上選手」松井秀喜がCSファイナルステージを解説! 三冠王・村上宗隆との最大の違いとは?
posted2022/10/12 11:25
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph by
Naoya Saunuki / Hideki Sugiyama
「素晴らしい選手。55番といえばもう私じゃない。村上選手です」――巨人・王貞治(現ソフトバンク球団会長)が持つ55本塁打を抜いてシーズン本塁打歴代2位の56本塁打を記録したヤクルト・村上宗隆内野手に、こうエールを送ったのは巨人時代から背番号「55」をホームランバッターのつける番号として育ててきた松井秀喜さんだった。
野球ファンにとって背番号55といえば真っ先に頭に浮かぶのは、松井さんだったことに異論はないはずだ。
その松井さんの背番号55には、筆者も少なからず思い入れがある。1992年のドラフトで巨人が星稜高校の松井さんとの交渉権を獲得した直後だ。当時報知新聞(現スポーツ報知)の巨人担当キャプだった筆者が、「松井の背番号決定」という“ニュース”が書きたくて、長嶋茂雄監督(現終身名誉監督)や球団首脳に「ぜひ松井くんの背番号を55に」と“根回し”に走り回ったからだった。
最後に球団首脳から「わかったよ。キミのいう通りに背番号は55にするよ」と言われ、すぐさまカメラマンに55をつけたユニフォームと共に地元・金沢にいた松井さんの写真を撮ってもらって1面を飾った。
その時、数ある空き番号から「55」を選んだ理由の1番が、王さんの当時のシーズン本塁打記録55本を抜くスラッガーになって欲しいという願いと、まさに王さんと同じ高校卒業でプロ入りした左のスラッガーというイメージを重ねたもの。そして台湾出身の中日・郭源治投手から「中国ではゾロ目は縁起がいいからこの背番号(33)にした」と聞いていたことで、「55」という5並びの数字に辿り着いたのである。
松井秀喜の背番号55へのこだわり
多くの選手が入団時は大きな番号を背負っても、その後に結果を残せば野手なら1桁台の番号に変わっていく。しかし松井さんは「僕はこの番号が好きだし、この先も変えるつもりはない」と言って、巨人ではもちろん海を渡った大リーグでも、背番号55にこだわり続けたことはファンも知るところだろう。
そして松井さんの活躍で背番号55は、将来チームの中心となるスラッガー候補のつける番号として、日本のプロ野球で意味を持つようになった。ただその願いを込められた多くの打者が55番を背負ってきたが、本当に叶えられる選手がなかなかいなかったのも現実だ。