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「ラッキーマンですよ、僕は(笑)」37歳千葉和彦の“笑顔”がアルビレックス新潟に必要だった理由〈6年ぶりのJ1昇格〉
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![安藤隆人](https://number.ismcdn.jp/mwimgs/b/f/-/img_bf61245775818e993f7b27afcadd69be52906.jpg)
安藤隆人Takahito Ando
photograph byJ.LEAGUE
posted2022/10/11 17:11
![「ラッキーマンですよ、僕は(笑)」37歳千葉和彦の“笑顔”がアルビレックス新潟に必要だった理由〈6年ぶりのJ1昇格〉<Number Web> photograph by J.LEAGUE](https://number.ismcdn.jp/mwimgs/a/8/700/img_a8304d0df4f9ae9e488ed7333e3c0339179518.jpg)
6年ぶりにJ1昇格を果たしたアルビレックス新潟。原動力の1つとなったのがサポーターとの一体感を生んだ千葉考案のパフォーマンスだった
下部組織から昇格した槙野智章(現・ヴィッセル神戸)や柏木陽介(現・FC岐阜)を中心にゴールパフォーマンスなどが話題を集め、「サンフレ劇場」としてよく取り上げられていた頃。千葉が広島に加わった時は槙野も柏木もいなかったが、森脇良太(現・愛媛FC)がそれを引き継いでいた。昔から人を笑わせることが好きだった千葉に、森脇や佐藤寿人らチームメイトが目をつけたのだ。
「いつものようにチームを盛り上げるためにおちゃらけていたら、森脇が『千葉ちゃん、こんなに面白いんだから、サポーターにもやれば喜ぶよ!』と言ってくれて。寿人さんや(高萩)洋次郎(現・栃木SC)も『いいね、いいね、もっとみんなの前でやった方がいいよ!』と言ってくれたのがきっかけですね。森脇と一緒になってサポーターの前でやったら、スタンドからたくさんの笑顔が見えたんです。
今までは自分が上手くなればいいとか、ステップアップできればいいと思っていたけど、自分がみんなの前で明るく振る舞うことで人に何かを与えられるんだと世界が広がりました。自分がやる行動に対してポジティブに受け入れて、武器として褒めてくれたのが広島でした」
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広島時代は千葉にとっても大きな飛躍を遂げる時間だった。12年、13年、15年と3度のJ1優勝を経験している。
「頂点に立つまでは『俺、結構チームに貢献しているな』と思っていたのですが、いざ優勝して、みんなが喜んでいる姿を見ると、自分が周りの人たちによって助けられ、生かされていたと気づいたんです。それに広島サポーターの方々から『おめでとう』ではなく、『ありがとう』と言われて、それが凄く嬉しくて……もっと人に尽くさないといけないと強く思うようになった。自分の行動は最終的に自分に返ってくるんだと」
話題を呼んだ「二十歳の千葉グッズ」
19年から在籍した名古屋グランパスでは、プロ1年目以来となるリーグ戦不出場を経験。2シーズンでリーグ戦はわずか1試合のみの出場に終わったが、それでも腐ることなく、風間八宏監督のもとで持ち前のキック精度を生かしてビルドアップ能力をコツコツと磨いた。
どんな時も明るく振る舞い続ける千葉の姿はチームメイトやサポーターにも届き、若き日の1枚の写真をイジられた『二十歳の千葉グッズ』なるものも誕生している。
控え選手がそこまでフィーチャーされるのは、稀有な例だと言っていい。