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アントニオ猪木のカリスマ性、その正体は? レスラーの証言「あんな馬鹿な試合、俺と猪木にしかできない」「賛否はチャレンジの結果」
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph bySports Graphic Number
posted2022/09/11 17:01
燃える闘魂アントニオ猪木。他のプロレスラーを通して見る彼のスタイルとは?
さらに現在の新日でエースとして戦うオカダ・カズチカも2020年、このように話していたことがある。
「失礼ですけど、猪木さんもどっちかと言えば賛否両論が多い……(中略)でも、賛否があるというのは、いろんなことにチャレンジした結果だと思うんですよ」
猪木がリング上で残した痕跡は、現在のプロレス界にもしっかりと残っている。
なぜマサは2時間超も巌流島で猪木と戦ったのか
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<名言3>
あんな馬鹿な試合、俺と猪木にしかできないよ。
(マサ斎藤/Number958号 2018年8月2日発売)
◇解説◇
マサが言う「馬鹿な試合」とは1987年10月4日に行われた、アントニオ猪木との“巌流島の決闘”のことだ。
宮本武蔵と佐々木小次郎が戦った巌流島での無観客、レフェリーなし、ルールは“プライドだけ”という、文字通りの決闘は2時間5分14秒に及び、最終的には猪木の勝利に終わった。
「俺もあんな試合は初めてだった。猪木からは、『野っ原で闘う』としか言われていない」
「まるで宇宙空間で猪木と2人だけで闘っているようだった」
日本プロレス史上に残る伝説の一戦だが、猪木の突拍子のないアイディアに付き合ってくれるのはマサしかいなかったというのも、1つの事実ではあった。
マサは1964年東京五輪のレスリング日本代表として大舞台に立ち、その後プロレスの世界に。60年代からアメリカを主戦場にして一匹狼として戦い続け、ヒールとしての立場を確立していった。80年代後半には猪木との抗争を展開。そんなマサのタフさを猪木は買ったのだろう。