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「明日からどうやって生きていけばいいんだろう」オグシオペア解散、潮田玲子が直面した引退への恐怖「あんなに苦しくてやめたいとなっていたのに…」 

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byAsami Enomoto

posted2022/08/29 06:01

「明日からどうやって生きていけばいいんだろう」オグシオペア解散、潮田玲子が直面した引退への恐怖「あんなに苦しくてやめたいとなっていたのに…」<Number Web> photograph by Asami Enomoto

2008年に解散したオグシオペア。一時は引退も考えたという潮田はその後、なぜミックスダブルスでロンドン五輪を目指したのか

「私から誘いました。おぐっちは後輩育成を兼ねて、若い選手と組んでその選手を伸ばしつつ次の目標へ向かいたいという気持ちが強かったと思います。私は、逃げかもしれないけれど、おぐっちとライバルになりたくないと思いました。オリンピックを目指すきっかけがおぐっちだったので、おぐっちがいなかったらオリンピック選手になっていなかったというのが根底にありました。だから、女子ダブルスをやるのにおぐっちよりいいパートナーはいないとも思っていました」

 そもそもミックスダブルスにも関心があったという。

「日本は選手が手薄だったけれど、海外遠征でぼんやり見ていると面白かった。なんで日本は力を入れないんだろうと思っていたこともあって、だったら自分がやってみようとわくわくしました」

練習相手がいない、結果が出ない、苦労の連続

 いざ始めると、苦労の連続だった。

「めちゃめちゃ大変で辛かったです。2007年に味の素ナショナルトレーニングセンターができたじゃないですか。バドミントンはコートが10面もありました。その中でミックスは辛うじて1面もらえても、専門の選手がいないので練習相手がいないんです。私と池田さんと朴(柱奉ヘッドコーチ)さんの3人でずっとノックをしていて、最後の30分くらい、男子と女子のダブルスの練習を終えた選手がつき合ってくれる感じでした。ただ、自分の練習を終えてからなのでみんな疲れているんですよ。モチベーションを高くというわけにはいかないし、そこを要求もできない。自分のチームに戻っても同じ状況です。後輩たちも先輩たちに言われたからやらなきゃいけないみたいな感情もあって、申し訳ないなと思ったり、すごい肩身も狭かったです」

 いちばん辛かったのは「結果がなかなか出なかったこと」だった。

「ずっとミックスダブルスをやっていた選手と比べると、知識も経験も感覚もなかったので、最初の2年間くらいは暗いトンネルを歩いている感じでしたね」

玲子も陣内さんみたいになれるといいよね

 それでも投げ出さなかった。理由の1つは「自分が決めたことだから」。もう1つは「セカンドキャリアを考えた」ことにあったと言う。

【次ページ】 ロンドン五輪では『思い切って闘いましょう、信太郎さん』

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