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「明日からどうやって生きていけばいいんだろう」オグシオペア解散、潮田玲子が直面した引退への恐怖「あんなに苦しくてやめたいとなっていたのに…」
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byAsami Enomoto
posted2022/08/29 06:01
2008年に解散したオグシオペア。一時は引退も考えたという潮田はその後、なぜミックスダブルスでロンドン五輪を目指したのか
「北京のあとに引退も考えて、セカンドキャリアについて初めて考えたんです。オグシオとして注目していただいていたので、メディアの仕事をなんとなくやっていくんだろうなと思いました」
そう思ったのは先行するモデルがあった影響もある。
「陣内貴美子さんですね」
1992年バルセロナ五輪に出場するなど活躍、引退後はキャスターなどで活動するバドミントンの先輩だ。
「陣内さんは女子アスリートが引退後、芸能界でも活動する道を切り拓いてきたパイオニアです。子供の頃から観ていて、周りの大人にも『玲子も陣内さんみたいになれるといいよね』と言われていました。気づいたら陣内さんの背中を追っていて、漠然とスポーツキャスターとかアスリートを応援できる仕事がしたいと考えていました」
ただ、2008年時点の潮田は自分自身に対して、とても厳しい評価を下していた。
「でも、そもそもメダリストでない自分が一過性のブームの中でぜんぜん違う芸能の仕事をしたところでぜんぜん説得力がないし、長続きしないだろうなと感じました。やめるのがすごく怖かったこともあります。あんなに苦しくてやめたいやめたいとなっていたのに、いざやめてもいいかなと思ったとき、明日からどうやって生きていけばいいんだろうと恐怖心に駆られました。もうちょっとキャリアが終わるときに向けてちゃんと準備しないといけないし、ここからの4年が苦しいのは分かっていたけれど苦労することによって成長できるんじゃないか、セカンドキャリアに向けてもっと自信を持って歩みを進められるんじゃないかと考えました」
ロンドン五輪では『思い切って闘いましょう、信太郎さん』
やがてミックスダブルスに慣れ、少しずつ成績を残して長いトンネルを脱するとロンドン五輪代表をつかむ。大会では1勝2敗の1次リーグ敗退に終わったが、北京を終えたときと感情は異なった。