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「見た目をきっかけにアスリートを見るのはおかしい、と言いにくい」オグシオ・潮田玲子が現役時代苦しんだ”美しいアスリート特集”を全否定しない理由

posted2022/08/29 06:00

 
「見た目をきっかけにアスリートを見るのはおかしい、と言いにくい」オグシオ・潮田玲子が現役時代苦しんだ”美しいアスリート特集”を全否定しない理由<Number Web> photograph by Asami Enomoto

“オグシオ”として多くの注目を集めた現役時代、2008年北京五輪までの道のりは本人にとって「苦しい時期」だったという

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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Asami Enomoto

 女子ダブルスで2008年北京五輪出場、2012年ロンドン五輪にはミックスダブルスで出場――潮田玲子は日本バドミントンの歴史に確固たる足跡を残し、一時代を牽引した。
 その功績は成績だけでなく、バドミントンの認知向上にも大きな役割を果たした。小椋久美子と組んでいた女子ダブルス「オグシオ」はスポーツの枠を超えた関心を呼び、2007年の流行語大賞にもノミネートされるなど社会現象となった。
 潮田はその渦中にあって、見た目や私生活に着目するメディアの報道やSNSなどによる誹謗中傷といった近年クローズアップされてきた問題を現役時代に体験したアスリートでもある。
 引退後はスポーツキャスターを務めるなど幅広く活動する潮田に、注目を集め続けた現役当時の心境を、現在の視点も交えつつ語ってもらった。<全3回の1回目/続きは#2#3へ>

  2000年代後半、「オグシオ」は熱狂的とも言えるブームになった。事例には事欠かない。2006年に日本で開催された世界国別対抗戦「ユーバー杯」では、バドミントンでは異例の1万人の観客が詰めかけ、入場制限がかけられた。日本リーグの試合は相次いで完売。多くのオファーを受けてCMに複数出演し、写真集やDVDも発売された。2枚目のDVDは女性スポーツ分野では歴代2位の売り上げを記録(当時)。これらは2人への注目を示す一端だ。潮田がその端緒となったタイミングを振り返る。

美女アスリート特集に「違和感ではないですけど…」

「2005年のヨネックスオープンでベスト4になったとき、初めて新聞の記事に『オグシオ』という言葉が載りました。オグシオというワードで認識されたのがその年だったと思います」

 ブームの予兆は高校を卒業して三洋電機に入社した2002年の時点ですでにあった。

「三洋電機に入社した年に、週刊誌の美女アスリート特集に載りました。違和感ではないですけれど、初めて競技そのものとは違う角度で捉えられたのを覚えています」

 その後も、成績に優先する形で注目を集めつつ、競技生活を送り、やがて国内外の大会で好成績をあげるとともに、人気は飛躍的に高まっていった。

 渦中にあって、それをプラスにも捉え、一方で葛藤や苦悩も抱えた。

【次ページ】 日本バドミントン協会の戦略でクローズアップされていた

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