オリンピックへの道BACK NUMBER
「見た目をきっかけにアスリートを見るのはおかしい、と言いにくい」オグシオ・潮田玲子が現役時代苦しんだ”美しいアスリート特集”を全否定しない理由
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byAsami Enomoto
posted2022/08/29 06:00
“オグシオ”として多くの注目を集めた現役時代、2008年北京五輪までの道のりは本人にとって「苦しい時期」だったという
「負けたらどうしよう、結果が出なかったらどうしようという気持ちも少なからず生まれるようになりました。特にオリンピックのシーズンは取材量も多かったし、頑張ると言ってメダルを獲れなかったときどうなるんだろうと心の中で抱えていました。今振り返ればそんなに背負うこともなかったのにな、と思うけれど、当時の感覚としては、大げさに言うと国民の皆さんの期待を裏切ってしまったらどうしよう、というくらいでした」
注目されるとともに、誹謗中傷も少なからず受けるようになった。
「メディア対応やバラエティに出るとか競技外のこともあったじゃないですか。私たちにとっては海外遠征や合宿の合い間の短い時間、休日返上で受けているような感覚なんですけど、結果が出ないと『競技に集中せずテレビに出ているからだろう』『もっとコートだけに集中しろ』という声がありました。『セクシャルに撮られるのが嫌だ』と言ったら、『そういう恰好をしているのが悪いんだろう』とも」
北京五輪前は本音を言えず孤独だった
北京五輪を前にした時期は「孤独だった」と当時の心境を説明する。
「プレッシャーや焦りをコーチに打ち明けることもなかったし、経験した人も周りにいなかった。相談できないのも苦しいところではありました」
何よりも孤独を深めたのは小椋と本音を共有することができなかったことにあった。
「当時、全然話せなくなってしまっていました。それぞれがプレッシャーを感じていたり、お互いがお互いの焦りを感じていたり、うまく気持ちをあわせてかみあってない状態がオリンピックのシーズンはけっこう続いていました。1月、2月、3月、4月、5月、6月……ときが近くなればなるほどです。おぐっちも怪我に苦しんだりとかコンディションが整わなかったり、5月のユーバー杯もおぐっちは怪我で参加できなかったんですね。その中で『苦しいよね』というのが私の中で逃げている感じがして。弱音を吐くってけっこう難しいじゃないですか。しかもオリンピックという舞台を前に弱音なんてはいてられないよねという気持ちのほうが大きかった感じですかね。励まし合いはするけど、本音の部分で私すごい不安なんだよね、怖いんだよねというのはお互い言えなかったのはあります」
ぜんぜん楽しめなかった北京五輪
迎えた北京五輪をこう振り返る。