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「あの騒動があった分、間違いなく成長できた」18歳のパワハラ告発から4年…体操・宮川紗江が語るパリ五輪への再スタート 

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キム・ミョンウ

キム・ミョンウKim Myung Wook

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photograph byTakuya Sugiyama

posted2022/08/09 11:01

「あの騒動があった分、間違いなく成長できた」18歳のパワハラ告発から4年…体操・宮川紗江が語るパリ五輪への再スタート<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

9月で23歳になる宮川紗江。4年前の騒動、そして東京五輪の落選を振り返りながら、2024年への目標を力強く語った

 あまり知られていないが、騒動のあと、宮川は練習拠点の確保に奔走してきた。というのも、代表選手が利用するナショナルトレーニングセンター(東京・北区)の使用を速見コーチが禁止されていたため、同施設を利用しての指導は、規則上できなくなった。速水コーチとの二人三脚を続けるならば、ナショナルトレーニングセンターを出て、新たな練習拠点を探す必要があった。ただ、速見コーチも世間の目があったため、どの練習場にも顔を出せない時期が続いた。

 そんな状況下で2004年アテネ五輪団体金メダルの米田功が監督を務める「徳洲会体操クラブ」から声がかかったが、ここも20年12月で契約が切れ、その後は新潟に拠点を移している。そこでは母と2人暮らしをしながら、速見コーチも帯同した。それにしても、またなぜ新潟だったのだろうか。

「新潟に『上越市立上越体操場・ジムリーナ』という立派な体操施設があるんですが、そこを拠点に10カ月くらい生活しました。以前から合宿とかで何回か利用したことがあったので、練習場所を確保するにはよかったのと、あとは金銭的な問題ですね」

金銭面での苦労、スポンサーもいない

 速見コーチと共に朝は10時から午後2~3時くらいまで練習し、休憩をはさんで基礎練習やトレーニングを夕方に2時間ほどこなす日々。ただやはり、18年から約2年続いた高須クリニックからのスポンサードが終了したこともあり、金銭面での気苦労は絶えなかった。

「練習場を確保するにも毎回使用料がかかりますし、場所によっては高いところも多いんです。それで引っ越し代や家賃、生活費、交通費、練習時間や練習場所などを総合的に見た場合、新潟にいるほうがいいとなったんです。新潟ではいつも一人で仲間もいないのは精神的に大変なところもありましたが、練習環境的には体操漬けになれるいい環境でした」

 そうした生活を10カ月続けていたところ、現在の戸田市スポーツセンターへ拠点を移すことが決まった。

「私が埼玉県の高校に通っていたこともあって、当時からよくしてもらっていましたし、練習環境に困っているのを知っていたのもあって、練習場所を提供してくれることになったのは本当にありがたかったです。実家から通えますし、仲のいい仲間もいますし、人がたくさんいるのでにぎわっているだけでも全然気持ち的に違いますよね。それに今はコーチも試合会場に入れるので、これから始まったという感じですよ」

【次ページ】 速水コーチの指導を受けて12年

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