酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
清宮幸太郎23歳(早実→日本ハムドラ1)に今まで辛口すぎたのかも… 「オールスターのサヨナラ弾」を生で見て感じた“大砲の転機”
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byHideki Sugiyama/JIJI PRESS
posted2022/08/02 11:04
オールスターでは36年ぶりとなるサヨナラ弾を放った清宮幸太郎。早実時代からその期待値は高かった
父親がラグビーの著名な選手・指導者だったこともあり、中学時代から全国に知られる存在だった。名門・早実に入ってからもずっと注目の的で、練習試合でも満員の観客が押し寄せた。他の選手ならば競争に勝ってつかむはずの中軸打者の座も、メディアの注目も、最初から用意されていたような印象だ。それもあってか、清宮は殊勲打を打ってもあまりうれしそうな顔をせず、しばしば気の抜けたような表情を見せることもあったのだ。
期待された「21」と、同い年・村上宗隆の大活躍
日本ハムが清宮につけた背番号は「21」。
「(清宮選手には)正直で天真爛漫で知的さを感じました。新しいプロ野球選手として、色のついていない番号でと考えました。命を吹き込んで、この世に21を広めてください。また21はメジャーの名手ロベルト・クレメンテ氏が背負った番号でもあります。打者として活躍したばかりではなく、社会貢献に力を入れた選手。社会に向け発信力をもつ人間になってほしいという願いも込めました」
入団会見で、大渕隆スカウト部長(当時。現在はGM補佐を兼任)はこう語った。筆者は大渕部長と面識がある。教育者的な視点を持つ人で、選手には、野球だけでなく一個の社会人としても成長することを望んでいる。「21」という打者ではあまり着用しない背番号からは、今までの「スター高校生清宮」の殻をいったん脱ぎ捨てて、新たな「清宮幸太郎」を作ってほしいという期待が見て取れた。
しかしプロ入り後の清宮は、順調だったとはいいがたい。
1年目から7本塁打を打ったのは上出来だったが、2年目に同期のヤクルト村上宗隆が36本塁打96打点を叩きだしてからは、清宮の“のんびりぶり”が際立った。
2年目、3年目も7本塁打を打った。しかし4年目の昨年、栗山英樹監督(当時)は清宮を二軍に置いたまま、昇格させなかった。
中田翔と二軍でバットを振る姿と新庄監督の叱咤
入団時から、鎌ケ谷や横須賀の二軍戦で清宮をよく見てきた。打撃練習ではずば抜けた打球を飛ばしていたが、試合になって1打席目に安打や本塁打が出ると、2打席目以降はあまり力を入れていないような感じを持った。
昨年5月、鎌ケ谷では二軍落ちしていた中田翔と中軸を組む清宮を見たが、中田と並んでゆっくりとバットを振る姿からは「どうしても一軍に上がってやる」というオーラは感じなかった。入団時は鎌ケ谷にある寮にファンが押しかけて「清宮に会わせろ」という騒ぎもあったが、この頃になると、二軍でも大きな拍手は起こらなくなっていた。
なお、ある野球指導者は「良い選手は、自分で課題を見つけ、自分で練習法も工夫して成長していくが、清宮君はそうじゃないみたいだね」と筆者に語ったことがある。