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“駒大苫小牧の怪物”田中将大を倒す…16年前、名将・高嶋仁の鬼指導に智辯和歌山キャプテンは…「グラウンドは生きるか死ぬかでした」 

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中村計

中村計Kei Nakamura

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photograph byHideki Sugiyama

posted2022/08/17 17:01

“駒大苫小牧の怪物”田中将大を倒す…16年前、名将・高嶋仁の鬼指導に智辯和歌山キャプテンは…「グラウンドは生きるか死ぬかでした」<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

2006年夏、怪物・田中将大のベストピッチを引き出した智辯和歌山の執念に迫る

 古宮によれば、当時、高嶋の指導は、今以上に厳しかったという。

「現役中は、『死ね、じじい』って、何回も思いましたよ。グラウンドは、まさに生きるか死ぬかでしたから。毎日、誰か死んでましたね。今はだいぶ丸くなりました」

 駒大苫小牧とともに選抜大会出場をほぼ確定させていた智辯和歌山は、甲子園での打倒田中を目指し、冬場も超高速のマシン打撃を続けた。ところが、大会直前、駒大苫小牧が不祥事を起こし、出場を辞退してしまう。高嶋は慌てて、マシンのスピードを落としたという。

 だが、その選抜大会では2回戦で、岐阜城北に7-10で敗退。選抜大会後、すかさず田中対策を再開した。

「田中は唯一の壁だと思ってました」

 春の近畿大会は、ぶっちぎりで優勝を飾った。古宮は誇らしげに語る。

「僕らが最上級生になってから、ほとんど負けてないんです。秋の近畿大会の決勝と、選抜大会と、あとは練習試合で1試合くらい。駒大苫小牧以外は、普通にやったら、勝てるという自信があった。だから、駒大苫小牧しか見ていなかったし、田中を打ったら優勝やと思っていた。田中は唯一の壁だと思ってましたね」

 そうして迎えた'06年夏――。〈つづく〉

#2に続く
甲子園で対戦した智辯和歌山バッターたちの“田中将大評”「すとんて消えて」…高嶋仁監督が北海道で聞いた「待つ」の意味

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