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“駒大苫小牧の怪物”田中将大を倒す…16年前、名将・高嶋仁の鬼指導に智辯和歌山キャプテンは…「グラウンドは生きるか死ぬかでした」
posted2022/08/17 17:01
text by
中村計Kei Nakamura
photograph by
Hideki Sugiyama
ひとは田中将大のライバルを、今でも“あの選手”と言うのだろう。でも2006年の夏、彼を倒そうと死力を尽くした球児は他にいた。怪物のベストピッチを引き出した智辯和歌山の執念に迫る。
Sports Graphic Number933号(2017年8月9日発売)の記事『[証言ドキュメント]田中将大に、勝ちたかった』を特別に無料公開します。※肩書きなど全て当時のまま(全2回の前編/後編へ)
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早実と駒大苫小牧の決勝再試合に沸いた2006年夏。「世代最強」と呼ばれた駒大苫小牧のエース田中将大のベストピッチは、早実の斎藤佑樹と投げ合った決勝ではなく、準決勝の智辯和歌山戦だった。田中が、その夏、唯一、輝いた試合だったと言ってもいい。
2回途中からマウンドに上がった田中は、8回を投げ、10奪三振。7-4でチームを勝利に導いた。捕手の小林秀の証言だ。
「スライダーが、縦に落ちていた。この日は、いいときの田中に戻ったかなと思いましたね。でも決勝では、スライダーがススッて感じじゃなくて、スーッて曲がってきた。これは見やすいだろうなと」
本調子とは程遠かった2006年夏
この夏、田中はフォームを崩していただけでなく、甲子園にきてからは胃腸炎にかかり、本調子とは程遠い出来だった。田中が決勝について、あまり語りたがらないのは、こんな理由からだ。
「斎藤はいちばんいいとき。僕はいちばん悪いときでしたから」
体力的には、準決勝あたりがギリギリだったのだろう。そして、もう一つ。智辯和歌山の監督・高嶋仁は苦々しげに思い出す。
「うちには橋本(良平=元阪神)いう、スーパースターがおったから。田中も関西出身やから、知っとったやろ。そんなのおったら、彼は余計に燃えるんですよ」
田中は気合いが入れば入るほど、上目遣いになる。その角度が、もっともきつく見えたのが智辯和歌山戦だった。