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“駒大苫小牧の怪物”田中将大を倒す…16年前、名将・高嶋仁の鬼指導に智辯和歌山キャプテンは…「グラウンドは生きるか死ぬかでした」
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byHideki Sugiyama
posted2022/08/17 17:01
2006年夏、怪物・田中将大のベストピッチを引き出した智辯和歌山の執念に迫る
当時、智辯にいたスーパースター
ボーイズリーグに所属する八尾フレンド出身の橋本は、小・中で全国制覇を経験し、少年野球の日本選抜チームでは4番を務めた。宝塚ボーイズ出身の田中は、高校以前は、橋本に大きく水をあけられていた。橋本は中学生当時、約40校の高校から誘いの声がかかっていたという。
「最後、悩んだのがPL学園か智辯和歌山やった。ただ、甲子園に出るには智辯和歌山の方が可能性は高いと思った」
橋本は入学するや否や4番に座った。そのときのエピソードが強烈だ。
「鮮明に覚えてるんですけど、入学して初めての練習試合、打順が6番だったんです。そうしたら、不満な顔はしてなかったと思うんですけど、高嶋先生が『なんや、嫌か。4番打つか』って言うから、はい、って。今思えば、ようそんなこと言えたな」
のちにクリーンアップを組むことになった廣井亮介は、入学当時の橋本の衝撃をこう語る。
「素振りを見て、これ、プラスチックのバット振ってるんじゃないかと思った。うわ、すご、これ同級生? って」
田中将大の衝撃「こいつが2年なんや」
こいつが2年なんや 粒ぞろいだった橋本の代は、1年生から試合に出ていたメンバーが6、7人もいた。高嶋の中では、3年計画の代だった。
橋本が1年生のとき、'04年夏は、和歌山大会で敗退。2年夏は、甲子園の初戦で青森山田に敗れた。その夏は、高嶋に「来年はおまえらが、この舞台に立つんや」と言われ、チーム全員で一塁側スタンドから決勝を観戦した。駒大苫小牧と京都外大西のカードだった。
2年生エースの田中は9回、3者連続三振に切っただけでなく、最後の打者の最後のボールで、自身最速となる150kmをマーク。駒大苫小牧は前年に続いて夏の頂点に立った。
橋本は「こいつが2年なんや……」と思ったという。「あの試合を観て、みんな田中のことを意識したと思いますよ」