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「あのボルトも生身の人間なんだ」 王者ウサイン・ボルト“まさかのフライング”に世界中が沈黙した日…世界陸上の“大事件”が遺したもの
posted2022/07/16 17:00
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
Getty Images
7月15日(日本時間16日)、世界陸上競技選手権がアメリカ・オレゴンで開幕した。
序盤の種目で大きな注目を集めるのが男子100mだ。日本時間では17日の午前中に準決勝と決勝が行なわれるが、今大会に限らず、100mはいつの大会も花形種目であった。だからこそ、11年前に起きた出来事もまた、大会の歴史に残るレースとなった。
最強だったボルトがまさかのフライング
それは2011年、韓国・大邱大会だ。決勝でウサイン・ボルト(ジャマイカ)がフライングをおかし、失格となったのである。
当時のボルトは2008年北京五輪の100m、200mともに世界新記録で金メダル、4×100mリレーとあわせて3冠に輝き(2017年に剥奪)、2009年の世界選手権では100mで9秒5秒台に突入する9秒58の世界新、200mでも世界新記録で2冠。圧倒的な存在感を誇るスプリンターであった。
当然、2011年世界選手権でも大きな期待が寄せられていた。迎えた100m決勝でフライングが起こり、それがボルトであったことが分かった瞬間、つまり失格となった瞬間、場内はため息とも落胆ともつかない、何とも言えない空気に包まれたのだ。
ボルトのフライングの背景には…
背景には、2010年から適用されたルール改正があった。
そもそも、2002年までは同じ選手が2度フライングをしたら失格となっていた。だが一度目は失格にならないため、駆け引きから意図的にフライングするケースが疑われたり、何人もの選手がフライングするなどの事態も起こった。そのため、「一度目のフライングした選手が誰であれ、二度目のフライングした選手が失格」というルールが誕生。そして2010年に「一度フライングをしたらその選手が失格」というルールに変わった。
そして「一発で失格」のルールのもとで行われた初めての世界選手権で、その適用を受けたのがボルトであった。