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ヤクルト村上宗隆の7年前…なぜ“地元の高校”を選んだ? 父「県外は寂しいけん、手元に…」、弟・慶太「母ちゃんのご飯がうみゃーです!」 

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樫本ゆき

樫本ゆきYuki Kahimoto

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photograph byNanae Suzuki

posted2022/07/13 11:01

ヤクルト村上宗隆の7年前…なぜ“地元の高校”を選んだ? 父「県外は寂しいけん、手元に…」、弟・慶太「母ちゃんのご飯がうみゃーです!」<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

今季、驚異的な成績を残しているヤクルト村上宗隆。7年前、県外の高校からも誘いがあった中、なぜ地元校を選んだのか

 14年4月、枚方ボーイズで中学野球の名将と言われた鍛治舎巧監督が秀岳館監督就任。10年以上甲子園から遠ざかっていた秀岳館を再建し、熊本高校野球のレベルアップを目指そうと「3年で日本一」を宣言した。熊本で初めて春夏4季連続甲子園出場を決め、3回が4強入りするなどあと一歩のところまで勝ち進んだ。甲子園1、2回戦負けが多かった熊本で革命を起こしたが、手法のインパクトが大きすぎた。

九州学院の選手「自分たちの代で(甲子園に)行けばいいと」

 例えば、16年夏の甲子園メンバー18人の中に熊本出身はゼロ。メンバー決めに「ふるさと軍団」の色は無かった。このやり方にハレーションが起こり、監督だけでなく選手に対しても心無いヤジが浴びせられることがあったという(菊地高弘著『オレたちは「ガイジン部隊」なんかじゃない! ~野球留学生ものがたり~』インプレスより)。鍛治舎監督が退任して5年。熊本高校野球はかつての空気が戻っている。

「あの時の熱風は何だったのだろうか」。熊本在住歴のある記者も、たまに思い出す。今の高校生は、熊本工が甲子園で準優勝した時代(96年)も、九州学院が県初の夏3連覇(98~00年)した時代も知らない。「全国で勝つ」というイメージを、どう思っているのだろうか。

 九州学院の園村慧人主将(3年/けいと)は「15年のとき甲子園のアルプススタンドで九州学院を応援して自分もここで目指したいと思った」と、入学を決めた理由を話した。

【次ページ】 「(県外に出る選手の)お父さんと、お母さんは凄いなって」

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