甲子園の風BACK NUMBER
熊本を席巻“あの秀岳館旋風”の影響…ライバル九州学院の監督&OB「オールジャパンみたいなチームだった」「3人一組でデータ班を作って…」
posted2022/07/13 11:00
text by
樫本ゆきYuki Kashimoto
photograph by
Yuki Kashimoto
9日に開幕した高校野球夏の熊本大会は、ヤクルト村上宗隆の母校・九州学院が優勝候補に挙げられている。プロ野球選手25人を輩出し、春夏通算14度の甲子園出場をしている名門。しかし、あの“秀岳館旋風”以降、近年は敗退が続き、甲子園は村上が高1で出場した2015年夏が最後。現チームは村上家の三男・慶太(3年、内野手)が4番に座っており、春の熊本大会では6年ぶりの優勝、12季ぶりの春季九州大会に出場を果たした。聖地を狙うチームを取材した。(全3回の1回目/中編#2、後編#3へ)
午後4時過ぎになると、熊本市街地にある学校から約6キロ離れた九州学院徳王(とくおう)グラウンドに自転車をこいだ選手たちが続々と集まってくる。
「(コンニ)チハッ! チハッ!」
私のような「見知らぬ大人」が来ても畏まりすぎず、「ちょうどいい」自然体の挨拶で笑顔を見せてくる。最近行く先々で感じる「今日は取材と聞いているから、自分を良く見せるぞー」という、気負いのようなものがない。頑張りすぎていない。<この雰囲気が九州学院だった> 数年前に訪れたときの記憶がブレずに脳内で重なった。
「アハハ、そうですか。学校がミッション系で、比較的自由度が高い校風ですからね。無意味な上下関係を20年以上前になくした、熊本で最初のチームだと思いますよ。ここでは先輩にもフランクに話しかけますからね」
最後の甲子園は7年前…九州学院の今
就任2年目の平井誠也監督、50歳。坂井宏安前監督の勇退により、20年秋から監督を務めている。九州学院から熊本工業大(現崇城大)を経て95年に母校に赴任。コーチ、部長、九州学院中野球部監督(03~09年)を経て、再び部長となり、坂井前監督を支えた。「坂井先生のような強烈なカリスマ性は自分にはない」と認めた上で、前監督の指導を踏襲し、今の時代に合わせた指導を模索している。指導方針はグラウンド内外での「凡事徹底」だ。