甲子園の風BACK NUMBER
ヤクルト村上宗隆の7年前…なぜ“地元の高校”を選んだ? 父「県外は寂しいけん、手元に…」、弟・慶太「母ちゃんのご飯がうみゃーです!」
text by
樫本ゆきYuki Kashimoto
photograph byNanae Suzuki
posted2022/07/13 11:01
今季、驚異的な成績を残しているヤクルト村上宗隆。7年前、県外の高校からも誘いがあった中、なぜ地元校を選んだのか
内野手の馬場涼輔(3年)は泗水ボーイズ出身で、大阪桐蔭の主将・星子天真(3年)などレギュラーの多くが県外の高校に進学したが「7年甲子園に出ていなくても、九州学院で自分たちの代で行けばいいと思って入った。星子や、浦和学院の芳野大輝とは『夏、甲子園で再会しよう!』と言っています」。先に甲子園出場の夢を叶えた仲間を羨ましがるのではなく「自分はここから目指す」という強い意思があった。
「(県外に出る選手の)お父さんと、お母さんは凄いなって」
村上宗隆の話に戻る。高1の時、九州学院の4番打者として甲子園の地を踏んだが、高3の夏は決勝で秀岳館に敗れた。あの時の秀岳館を公弥さんは「宗が県内で負けたのは秀岳館だけだった。大阪桐蔭が熊本にいるような感じだった」。挑んで負け続けた過去を振り返る。それでも、県外の強豪校に行かせておけばよかったという後悔は、微塵もない。ならば……。
「県外に出ていく選手をどう思いますか?」とシンプルに聞いてみると「お父さんと、お母さんは凄いなって思いますよ」。即答だった。
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「だって親は子どもを家に置いときたいと思うものでしょう。(県外に)出しきらんですよ」とほほ笑んだ。
取材の最後に「ぜひこれを」と言って、県庁が発行しているカラー広報誌「県からのたより」を拡げて見せてくれた。そこには、21年「くまもと夢づくり賞」を受賞し1面に大きく取り上げられた村上のスーツ姿の写真が載っていた。高2で熊本地震を経験した村上は、プロ2年目から自分の本塁打と打点が熊本城復旧の寄付につながる義援活動をしている。熊本城が完全復旧する2037年まで続けるという。ふるさとへの、長い長い恩返しだ。「県からのたより」の1面には、こんなメッセージが書かれてあった。
「小さな頃から温かく見守り、辛かった時も支えてくれた熊本のために、練習を重ねて、もっと成長したい。県民の皆さんに夢や勇気を与えられるよう、一生懸命プレーします」
地元で育ち、地元で甲子園を目指す。そんな村上を地元の子どもたちが応援している。その原動力は家族の深い愛情であることは間違いない。〈後編につづく〉
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