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小野伸二を練習中に怒鳴りつけた“日韓W杯キャプテン”森岡隆三の後悔「もう帰ろう、ここにはいられない」「俺は何をやっているんだ」
text by
森岡隆三Ryuzo Morioka
photograph byReuters/AFLO
posted2022/07/07 17:02
2001年のFIFAコンフェデレーションズカップ。ニコラ・アネルカ(フランス)のドリブル突破を阻止する森岡隆三と小野伸二
そのうえツネは、大会開幕前の5月30日、大学チームとの練習試合で鼻骨を骨折している。すぐにフェイスガードが用意されたが、視野の確保など、不安は多かったはずだ。しかし、ロシア戦のツネのプレーは、私の理想のプレーを体現していた。
相手のカウンター攻撃を受けたときのことだ。瞬間、数的優位をつくられたにもかかわらず、とても冷静に対処した素晴らしいプレーがあった。
相手のドリブルに対応しながら、失点の確率を下げるべく、ゴールからボールを遠のけるというディフェンダーのセオリーを見事に大舞台で具現化していた。
優先順位をしっかりと踏まえたうえで、相手にパスを出させ、さらにそのパスが、まるで自分へのパスかのように誘い出し、最後はスライディングで仕留めた。
そのプレーは、本当に美しかった。
持ち前のスマートさに加え、球際の厳しさといったたくましさを感じる強さも見せた。フェイスガードをつけながらのプレーとは思えないほど研ぎ澄まされていた。
「ツネは次のステージへ行ってしまった、だいぶ置いていかれた」
短い時間にとてつもなく進化した、そう思うほど惚れ惚れするようなプレーを見せていた。
ワールドカップの舞台が、宮本恒靖の力を余すとこなく引き出したと思った。
嫉妬を軽々と超えた、尊敬に近い感情だった。
ワールドカップという大舞台の前に、鼻を骨折し、フェイスガードをしてのプレーを余儀なくされたとき、彼はそこからどうやって、気持ちを切り替えたのだろうか。
控えディフェンダーの出場のチャンスは、攻撃的な選手よりもはるかに少ない。
そのなかでどうやって日々を過ごしていたのかと考えると、彼のそのメンタルの強さ、健やかさに驚きを感じえなかった。
それを考えると、あのロシア戦でのパフォーマンスは当然だったのかもしれない。
一方、私はまったく健やかな状態ではなかった。
森川ドクターと何カ所も違う病院へ行き、検査を繰り返していた。
酸素カプセルに入り、注射を何本も打ちながら、行えるあらゆる治療を施したが、ベルギー戦前の状態には戻ることはなかった。