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「這ってでもプレーすべきだった…」“W杯で戦えなかったキャプテン”森岡隆三が酔いつぶれた宮城の夜と「アメリカへの逃避行」
posted2022/07/07 17:03
text by
森岡隆三Ryuzo Morioka
photograph by
JMPA
20年前、日本中に熱狂をもたらしたFIFAワールドカップ日韓大会。“フラット3”の中軸を担い、サッカー日本代表のキャプテンを託された男は、左足の負傷によって初戦のベルギーとの試合が唯一の出場機会となった――。6月に上梓された森岡隆三氏の著書『すべての瞬間を生きる PLAY EVERY MOMENT』(徳間書店)より、ワールドカップの舞台裏と選手たちの絆に迫る。(全3回の3回目/#1、#2へ)
想いを乗せたゴール
6月14日、大阪で第3戦目のチュニジア戦が行われた。
日本サッカー史上初のグループステージ突破へ向けた大事な一戦だった。足の状況はさほど好転していなかったが、ベンチに座ることを許された私は、ピッチの外から少しでもチームの力になりたいと考えていた。
試合は、推進力のあるチュニジアのアタッカー陣にほとんど仕事をさせず、日本が主導権を握っていたが、スコアは動かないまま前半が終わる。
さらにテンポを上げ、勢いを加速させるために、トルシエ監督は柳沢敦に代えて、モリシをピッチへ送り出した。
後半がスタートした直後の48分。そのモリシが右足で振り抜いたボールは、美しい軌道を描いてゴールの隅へと吸い込まれた。
スタジアムが沸いた。
モリシがこちらへ向かって走ってくる。
気がつけば、私はベンチを飛び出していた。
選手、スタッフ、みんながモリシを迎え、もみくちゃになった。いつも味方のゴールは嬉しいが、これほど感動したゴールはなかった。
日本中に歓喜が駆け巡っただろう。決勝トーナメント進出へ向かう記念すべきゴールは、控え組の想いを乗せたゴールでもあった。
「こんなことがあるのか」
と、自分のことのように嬉しかった。
最高の瞬間は、日本を初のグループステージ突破へ導く、永遠の瞬間となった。
そのあとも主導権を握った日本は、イチ(市川大祐)の美しいクロスにヒデがダイビングヘッドで合わせて、勝利を決定づけるゴールが決まり、そのまま試合は終了。
グループステージで、実に勝ち点7を勝ち取ることとなった。