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格闘技PRESSBACK NUMBER
那須川天心23歳、武尊戦後の独白「ボクシング? まだちょっと余韻に」「やりたいこと…サバゲーかな(笑)」酷評されたメイウェザー戦も糧に
posted2022/06/23 17:03
text by
布施鋼治Koji Fuse
photograph by
THE MATCH 2022/Susumu Nagao
那須川天心の8年に及ぶ格闘家としてのキャリアは、キックボクシングという競技そのもののステータスに大きな変化をもたらした。それはRIZINにおけるキックの扱いを見ても明らかだ。率直に言って、かつてRIZINでのキックはMMA(総合格闘技)の“刺身のツマ”のような扱いだったが、那須川の登場によってメインカードに格上げされた。那須川も「キックの地位は上がったと思う」と深く頷く。
「でも、やりすぎてしまった感もあるんですよね」
どういうことだろうか?
「なんだろう……。僕はずっと同じことをするタイプではないんです。だから周り(の価値観)が追いついてこない。なにか新しいことをやるときには、いつもドギマギした感じがありました」
「あのときはMMAに出るしかなかった」
武尊戦の翌日、那須川の独白を聞いて、筆者は世界で初めての総合格闘技であるシューティング(現・修斗)を創設した初代タイガーマスクこと佐山聡の存在を思い出した。
佐山が打撃も組みも寝技もできる格闘技の構想を語り始めたとき、世間は冷笑した。
「プロレスとどう違うの?」
結局、佐山の発想が世の中に理解されるまで10年近くの歳月を要した。それと同じようなことだろうか。実際、RIZINに登場するようになった那須川は変化球を投げ続けた。2016年12月29日のRIZINデビュー戦はキックではなく、MMAだった。
もちろん那須川にとっても、MMAは初体験。新たな挑戦が発表されると、世間の反応は冷ややかだった。
「そこまでしてRIZINに出たいのか」
大晦日のRIZINはファイターにとってのNHK紅白歌合戦のようなもので、出場すればそれだけで箔がつく。地上波で自分の試合が放送されたら知名度はさらに高まるので、当時の那須川の行動を売名行為に近いと見なす者もいた。
那須川は「いまでこそキックボクサーがMMAをやることは当たり前になったけど、僕が挑戦したときなんてかなり否定されていた」と振り返る。
「でも、キックボクシングの外に出るという意味では、あのときはMMAに出るしかなかった」