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JKとエディーは似ている!? 畠山健介が視た“革命期の日本ラグビー”と南ア撃破後の空席「あれから、ラグビーが面白いと思ったことはない」
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph byAkio Hayakawa/AFLO
posted2022/06/22 11:01
史上最大のアップセットと呼ばれた南アフリカ戦など、日本ラグビーの進化を世界に見せつけた2015年W杯。畠山は堀江翔太(右)らとセットピースで抜群の存在感を放った
チームとしては力を発揮できなかったワールドカップだが、忘れられないのは、ニュージーランドのスクラムの強さだった。
「トイメンが強くて記憶に残るスクラムは、いくらでもあります。あの時のオールブラックスも相手の1番はトニー・ウッドコック。紛れもなく名選手です。ただ、あのスクラムは彼の強さだけじゃなかった。ナンバーエイトのビクター・ビトーの押しが、間違いなく僕のところにまで伝わってきたんです。おそらく、8人の押しがひとつの方向に向いていたんですよ。後にも先にも、あんなすごいスクラムは経験したことがなかったです」
エディーさんとトシさんの密談
そして2012年、サントリーのヘッドコーチだったエディー・ジョーンズが日本代表を率いることになる。
「府中市の分倍河原にあるタリーズで、小野(晃征)と日和佐(篤)とお茶してたんですよ。そしたら、エディーとトシさん(廣瀬俊朗)がふたりで入ってきたんで、そりゃもう、びっくりですよ。だって、エディーはサントリーのヘッドコーチ、トシさんは東芝のキャプテンなんですから。自分たち3人は『あのふたり、なに話してるんだろう?』と思ったら、トシさんがジャパンのキャプテンになるという話だったようで」
畠山は日本代表がエディー・ジョーンズのもとで強くなっていく過程を体験する。
「エディーはベンチマークの設定が上手なんです。サントリーの時も、『世界のラグビー界は変わりつつある。オールブラックスはインプレーの時間を劇的に増やして、南アフリカを圧倒した。だから、走り勝つラグビーをサントリーが日本でやる。日本のラグビーを変える』と。つまりは、選手たちに過酷なフィットネス・トレーニングを課すってことだったんですけどね(笑)。
今では、フィットネス合宿をするのがスタンダードになりましたが、エディーがサントリーを通じて日本に根付かせた、今のスタンダードを築きました。日本代表では、2012年秋のヨーロッパツアーで歴史上初めて欧州勢にアウェイで勝つ日本代表になるという目標を立て、ルーマニア、ジョージアに勝った。最初は『そんなに強くないだろ?』と思ってたら、これが強いのなんの。びっくりしましたけど、だからこそ、勝って、新たな歴史を作ることで自信につながったんです。
それまで、日本はティア1のチームとの対戦を望む空気が強かったと思いますが、エディーは『頑張れば手が届く』相手とのマッチメイクが巧みでした。最終戦のフレンチ・バーバリアンズ戦は負けましたが、翌年の6月には秩父宮でウェールズに勝ちます。こうなれば、『日本代表は勝てる』という意識がみんなに浸透していきますよね」