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《引退》36歳畠山健介が語る“未熟”だった早稲田ラグビー期とジャパンで出会った“漢”たち「当時は全員がラガーマンでした」
posted2022/06/22 11:00
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph by
Kiichi Matsumoto
背番号3。
日本代表の右プロップとして重ねたキャップ数は78。
宮城県気仙沼市出身(私も同郷)、2011年、2015年のワールドカップでもプレーした畠山健介が現役引退を表明した。
「シーズン終了のひと月前くらいに、来季は契約を結ばないことを豊田自動織機シャトルズ愛知(リーグワン DIVISION 3)から伝えられました。『分かりました。ありがとうございました』と、自分でも呆気ないくらいすんなりと受け入れました。ひょっとして、来季もプレーしたいと強く願えば、どこかのチームがプレーさせてくれたかもしれません。いや、オファーがないかもしれない、『必要ない』と言われる怖さから逃げたかったのかもしれません。楽になりたかったのかも……。とにかく、戦力外を知らせる電話で、引退することに決めました」
初年度のリーグワンも終わり、いまはフリーランスの身の上。生活スタイルも変わったが、ラグビーのない生活を送るようになって初めて、ラグビーとは生活の、人生の「軸」だったことに気づいたという。
「明日、練習があるからもう寝ようとか、明日、練習がないから、この時間まで起きていても大丈夫だなとか、自分の行動の基準、軸がラグビーだったんですよ。軸がなくなってしまったので、さて、なにをしようか? と考える毎日です」
「ラグビーだったら自分を表現できる」
気仙沼にある鹿折ラグビースクールで楕円球を追いかけ始めたのは小学校2年生の時のこと。中学校ではバスケ部にも所属したが、ラグビーの方が得意だった。
「体をぶつけるプレー、バスケでそんなことをしていたら、すぐにファイブ・ファウルで退場ですよ(笑)。僕は3きょうだいの末っ子で、上のふたりと比べたら勉強も出来ないし、劣等感が常にありました。だから承認欲求が強く、ラグビーだったら自分を表現できて、親からも盛大に褒められると思っていましたね。ラグビーで表現しよう、生きていこうと考えるようになりました」