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佐々木朗希20歳はどんな高校生だった? 野球部同級生3人が明かす“素顔”「朗希は打つ方でもスゴかった」「あの日、グループLINEが大騒ぎに」
posted2022/06/05 17:04
text by
熊崎敬Takashi Kumazaki
photograph by
Sankei Shimbun
「ぼくらの中で、だれよりも甲子園に行きたがっていたのが、朗希でした。甲子園への思いはだれよりも強い、それも圧倒的に。その朗希の情熱に導かれるようにして、ぼくらも必死に野球に打ち込んだんです」
こう語るのは桜美林大学2年生の千葉宗幸。3年前の夏、佐々木朗希を擁して岩手県大会決勝に勝ち進んだ、大船渡高校野球部のキャプテンである。
プロ入り3年目の今季、28年ぶりとなる完全試合、さらに1週間後の8回完全という前代未聞の快投によって、その名をとどろかせた佐々木朗希。だが高校時代は取材規制が敷かれていたこともあり、その実像はあまり知られていない。
甲子園の夢をともに追いかけた高校時代のチームメイトに話を訊くと、“令和の怪物”のリアルな姿が浮かび上がってくる。
「キャプテンはぼくですが、実質的には朗希」
佐々木の同期である前出の千葉は、冒頭の言葉に続けてこう語る。
「キャプテンはぼくですが、実質的には朗希のようなものでした。野球への意識がだれよりも高く、できることは100パーセントやる。サボっているところなんて見たことがなくて」
1、2年生のころ、佐々木は自主練になると必ず投手ひとりを連れてジムに行き、体幹トレーニングに励んでいた。プランクとサイドプランクをそれぞれ1分ずつ、毎日欠かさず黙々と。
自らのコンディショニング、身体づくりに没頭しながらも、佐々木はチーム全体に目を配ることも忘れなかった。
そこには「グラウンドでプレーするのは選手。ならば選手たちが考えて判断することが、いちばん勝利に近づく道だ」という國保陽平監督の持論も関係している。
佐々木とともに、チームのまとめ役を担った千葉が続ける。
「監督の方針もあって、部員たちが練習メニューを決めることが多かったわけですが、選手それぞれでやりたいことが違うときもある。そんなとき朗希は個々の意見に耳を傾けたり、部員がストレスを溜め込んだりしないよう、柔らかい口調で説明したりしていました。彼は調子に乗ることもなければ、感情に任せてグチャグチャに怒ったりすることもない。いつも論理的で他人のことを気にかけているんです」
「朗希は打つ方でもすごかった」
夜9時に練習が終わり、真っ暗な夜道を自転車で一緒に帰る。そんなときも、千葉と佐々木は野球のこと、チームのことばかりしゃべっていた。