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“中田にキレられた”宮本恒靖の言葉から紐解くW杯初勝利の裏側…“脱・フラット3”で勝ったロシア戦《20年前のマッチレポート》
text by
金子達仁Tatsuhito Kaneko
photograph byGetty Images
posted2022/06/09 11:00
2002年6月9日、負傷した森岡隆三に変わってW杯第2戦ロシア戦に先発したDF宮本恒靖。最終ラインを統率した
大舞台で結果を出すことによって、選手はそれまでとはまるで別の次元に足を踏み入れることがある。それは十分にわかっていたつもりだった。しかし、まさか今大会の日本にそうした選手が出現しようとは、率直にいって予想外だった。もちろん、出現してほしい、出現してくれなければ苦しいとは考えていたのだが、こればかりはいくら願ったところでかなうものではない。私は、この試合をそうした選手が出現しないという前提で考えていた。当然、予想は大苦戦だった。
ところが、信じられないほどの幸運に恵まれたベルギー戦の引き分けによって、日本代表はワールドカップ以前の日本代表とは別のチームになっていた。一人の選手の劇的な変化と、多くの選手の勝ち得た自信によって、日本代表はここ4年間で遂げてきたよりもはるかに大きな変化を遂げていた。試合開始早々、私はそのことを思い知らされる。
前半4分、彼が強烈なミドルシュートを放った段階では、私はまだ「今日は硬さがないな」ぐらいにしか感じなかった。だが、その2分後、小野のフリーキックに飛び込んだあたりで「おや」と思い、27分、中田英寿の左ボレーがバーを越えた時点で「もしや」となった。シュートにつながるボールをゴール前から戻そうとしたのは、本来中田英寿よりも後方に位置しているはずの稲本だったからである。
ベルギー戦の逆転ゴールと幻の3点目
稲本がまだユース代表の選手だった頃、ガンバ大阪のサポーターは彼に「帝王」なるニックネームを授けていた。彼のプレーを見れば、それも十分に納得できた。「ボランチ」などというプラジルと日本以外では通用しないポジション名で片づけてしまうのが惜しくなってしまうぐらい、その視野の広さと攻撃カ、そして存在感は際立っていたからである。
しかし、ここ最近、私は彼がそんなニックネームで呼ばれていたこと自体を忘れかけていた。5月のノルウェー戦やスウェーデン戦での稲本は、まったく存在感がなかったばかりか、ボールにからむ回数からして激減していたからである。アーセナルで試合にほとんど出場していないデメリットを、ワールドカップ直前の稲本は隠しきれずにいた。
ところが、ベルギー戦の逆転ゴールと幻の3点目が、稲本を数週間前とは別の選手に変えていた。開幕直前のテストマッチ数試合で私を絶望的な気分にさせた、ボールを奪ってからの反応の遅さは、そんなことがあったというのが信じられないぐらい劇的に変化を遂げていた。21分、右サイドで柳沢がオノプコを追った時、一番早くゴール前への動きだしを始めていたのは稲本だった。その反応は、これまでの日本代表の中ではずば抜けて速かった中田英寿の反応よりも速かった。