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千代の富士「若貴ブームは2人だけど、ウルフフィーバーは俺1人」SNSで再脚光を浴びた大横綱の肉体美と“視聴率65.3%”の伝説
text by
荒井太郎Taro Arai
photograph byGetty Images
posted2022/05/08 11:02
現役時代の千代の富士(1983年九州場所)。上半身にまとった“筋肉の鎧”、そして鋭い眼光と、他の力士とは明らかに異なる圧倒的なオーラを放っていた
豪快な上手投げ“ウルフスペシャル”はなぜ生まれた?
全盛期の“必殺技”だった、右手で相手の首根っこを押さえつけながらの強烈な左からの上手投げは“ウルフスペシャル”と言われ、今もファンの記憶に鮮明に残っているに違いない。無双を誇る派手な相撲ぶりには、国民的ヒーローであり続けるための大横綱なりの計算があった。
「横綱になったら勝った相撲は新聞に載せてもらえないんだよ。年に10回くらいしか負けないのに、それが全部載るわけだから悔しい思いはあったよね。それなら勝っても載せてくれるような相撲を取ろうとなって、それで“ウルフスペシャル”が出来上がった感じかな」
最強横綱は引退後も親方として抜群の指導力を発揮した。時代が変わり、学生相撲出身者が多勢を占めるようになっても、大関千代大海(現九重親方)をはじめ、数多くの“中卒たたき上げ”の幕内力士を育て上げた手腕は特筆すべきだろう。弟子一人ひとりと行っていた交換日記では、その日の稽古で感じたこと、課題などを書かせ、親方がその返事を記し、“考える稽古”を実践していた。
“ウルフ”の名付け親で、現在は大相撲中継で解説者を務める北の富士さんは先場所、新関脇で初優勝した若隆景について、奇しくも「千代の富士が初優勝したときと雰囲気が似てきた」と放送で何度となく語っていた。身長、体重は千代の富士とほぼ変わらない。同じ筋肉質の体つきでもある。40余年前と同様、先場所の初賜盃は果たして、大ブレイクの予兆なのか。令和の相撲界からもニューヒーローの出現が待たれる。
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