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千代の富士「若貴ブームは2人だけど、ウルフフィーバーは俺1人」SNSで再脚光を浴びた大横綱の肉体美と“視聴率65.3%”の伝説
text by
荒井太郎Taro Arai
photograph byGetty Images
posted2022/05/08 11:02
現役時代の千代の富士(1983年九州場所)。上半身にまとった“筋肉の鎧”、そして鋭い眼光と、他の力士とは明らかに異なる圧倒的なオーラを放っていた
ニックネームの“ウルフ”は千代の富士がまだ髷も結えなかった昭和45年当時、痩せ細っていながら目つきだけは鋭かったことから、同じ九重部屋の兄弟子でのちに師匠となる、元横綱の北の富士勝昭さんが命名したことに由来する。
全盛期は圧倒的な強さと人気を誇った絶対王者だったが、若いころは体の細さと噛み合わない投げにこだわる相撲が災いし、度重なる肩の脱臼に悩まされた。1日500回とも言われる腕立て伏せなどで肩周りに“筋肉の鎧”を纏い、脱臼癖を克服したのは有名なエピソードだ。
初優勝時の瞬間最高視聴率は65.3%を記録
投げ主体の取り口から、立ち合いで左の前まわしを引いて一気に走る速攻相撲に変貌してからは番付を駆け上がり、三賞の常連にもなっていく。関脇で迎えた昭和56年初場所で初優勝を果たし大関昇進も決めると、日本列島を“ウルフフィーバー”が席巻した。大関はわずか3場所で通過し、同年秋場所には横綱に昇進。熱狂ぶりは最高潮に達した。
優勝決定戦で横綱北の湖を破り、初優勝を決めたときの平均視聴率は52.2%。瞬間最高視聴率は驚異の65.3%に達した。いずれも大相撲のテレビ中継史上、現在も破られていない最高の数字であり、平成初期に沸き起こった“若貴兄弟”を中心とする空前の相撲ブームのときでさえも及ばなかった。
元千代の富士の九重親方に生前、インタビューした際にそのことを尋ねると「若貴ブームは2人で作った数字だけど、ウルフフィーバーは俺1人だからね(笑)。どれだけすごかったことか」と冗談交じりに語っていたが、言葉の端々からは自負心も垣間見える。