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「代ゼミで出席カードを切ってからサボるわけです」小宮山悟がいま明かす浪人時代の“街ブラ”秘話「『ちい散歩』の走りですよ(笑)」

posted2022/05/05 11:02

 
「代ゼミで出席カードを切ってからサボるわけです」小宮山悟がいま明かす浪人時代の“街ブラ”秘話「『ちい散歩』の走りですよ(笑)」<Number Web> photograph by Asami Enomoto

早稲田大学野球部の小宮山悟監督は、2年間の浪人生活を経て一般入試で早大に合格。その後、ドラフト1位でプロ入りを果たした

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澤田将太

澤田将太Shota Sawada

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Asami Enomoto

「あのころは本当にバカだったんですよ。なんにも考えてなかった」

 球界を代表する“頭脳派投手”のイメージを裏切るような、意外な言葉が飛び出した。日米の野球界で活躍し、現在は母校の早稲田大学野球部で監督を務める小宮山悟は、同大学に進学するにあたり、2年間の浪人生活を経験している。本人の弁によると、当時はほとんど勉強もせず、野球のトレーニングもせず、のんべんだらりと毎日を過ごしていたという。

 大きな素質を秘めながら怠惰な生活に染まりかけていた若き小宮山は、いかに自らを奮い立たせたのか。終始一貫していた「早稲田への憧れ」や、浪人時代の“街ブラ”エピソードについて話を聞いた。(全2回の1回目/後編へ)

「普通の野球部員」だった高校時代

「小学生の時点で、身体能力が飛び抜けてすごかったわけではないですね。みんなが集まって運動をするときに『お?』ってなるぐらい。まぁ身長はデカかったけど、『昔は神童と呼ばれていました』みたいなことはありません。中学校も普通の公立で、みんなと同じように普通に野球をしていただけ。人並みに『将来の夢はプロ野球選手です』なんて言っていたと思いますが、本当になれるとはまったく思っていませんでしたよ」

 公立中学から進学した芝浦工業大学柏高校は、当時開校2年目の新設校だった。同校を選んだ理由は野球と一切関係なく、「家から目と鼻の距離にあったから」。この時点では、将来“投げる精密機械”と呼ばれる大投手の面影はない。あくまでも「普通の野球部員だった」という。

「なにせ新設校ですからね。野球部の実力は下の下ですよ。初めての公式戦は地区予選の1回戦敗退ですから。ただ、僕らの代になってちょっとだけ勝ち始めた。2年の秋と3年の春、32校しか出場できない県大会に続けて出られたんですよ。一応、僕がエースで4番だったけど、たまたま同期にできるやつが揃っていて、ワンマンチームで引っ張ったみたいなことではなかったかな。このころもまだ、なんとなく楽しいから野球をやっていただけで、ただのクラブ活動って感じでしたね。

 高校2年生の時、今でもなぜだかわからないんだけれど、部活の時間なのにテレビで早慶戦を観ていたんです。その光景に感動しちゃって、早稲田で野球をやると心に決めました。でも今にして思うと、『行きたい!』とか『行くぞ!』みたいな決意じゃない。特に根拠もなく『大学は早稲田だな~』と(笑)」

【次ページ】 「ああ、勉強しないと大学には入れないんだ」

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