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プロ野球PRESSBACK NUMBER
“2浪で早稲田合格→ドラ1指名”メジャーも経験した小宮山悟が浪人生に贈るメッセージ「1年や2年のブランクなんてどうってことない」
posted2022/05/05 11:03
text by
澤田将太Shota Sawada
photograph by
Asami Enomoto
現在、早稲田大学野球部で監督を務める小宮山悟は、同大学入学前に2年間の浪人生活を経験しながらドラフトで1位指名され、その後メジャーリーグにまでたどり着いた。また、浪人時代は草野球に参加するだけでトレーニングらしいことをほとんどしていなかったにも関わらず、名門・早稲田で1年時からベンチ入りを果たしている。「特別な才能は持っていない」と本人は語るが、明らかに異質な球歴だ。
ロッテ時代の1997年には最優秀防御率のタイトルも獲得した小宮山は、いかにして球界屈指の頭脳派投手になったのだろうか? その背景には、恩師・石井連藏監督との出会いと、「己を知る」ことによる生存戦略があった。(全2回の2回目/前編へ)
あくまでも第一の目標は「教師」だった学生時代
「早稲田に入った直後は、走り込みとか体力作りばかりで本当にキツい。そんな中でたまたまボールを投げる機会をもらったので、もうハシャいで全力投球するわけですよ。それがよく見えたんでしょうね。コーチの目に留まり、層の薄かった投手事情もあって、一軍と一緒に練習させてもらえるようになりました。まぁ、とにかく強運だったわけです(笑)」
2年間のブランクの後、すぐに一軍入りを果たした小宮山は同年代ではかなり注目される存在だったはずだ。しかし、当の本人にはまるで自覚がなく、プロ入りは全く頭になかったという。周囲の評価と自己評価に大きな隔たりがあったのだ。
「浪人中に、親と教員免許を取る約束をしていたんですよ。僕としても教師になって高校野球の指導者をしたかったし、ちょうどよかった。教職が激務だなんて当時は知りもしなかったから、『春休みと夏休みと冬休みがあるなんて、こんな楽な仕事は他にないんじゃないか?』と思っていたくらい(笑)。入試と同じで、結局この時も何も考えていなかったんですね。
3年の時に石井連藏監督に出会い、そこから野球に取り組む姿勢は変わりました。死ぬほど走って死ぬほど投げ込むだけなんですけどね(笑)。プロを意識し始めたのもそのころかな。1学年上の選手をチェックするためにプロや社会人球団のスカウトが来ていたので、『俺も行けたりしないかな』って」