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佐々木朗希は金田正一25歳を超えうるか? “自称180キロ左腕”の全盛期を見た作家「打者を威圧していた」「岡島秀樹にやや似ている」 

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太田俊明

太田俊明Toshiaki Ota

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photograph byJunichi Haruuchi

posted2022/04/27 11:04

佐々木朗希は金田正一25歳を超えうるか? “自称180キロ左腕”の全盛期を見た作家「打者を威圧していた」「岡島秀樹にやや似ている」<Number Web> photograph by Junichi Haruuchi

佐々木朗希は、令和の時代に突如出現した“日本プロ野球史上最高の投手”なのか?

 金田は、沢村賞を3度受賞した4人の投手(ほかに杉下茂、村山実、斎藤雅樹)のうちの一人だが、3年連続で受賞したのは金田一人だけだ。この3年間が金田の全盛期と言えるが、その中でも一番成績が良かったのが3年目に当たる58年で、金田25歳だった。

 この年の成績は以下の通りで、セリーグの最多勝、最多完封、最多奪三振、最優秀防御率、沢村賞を獲得している。

【登板56試合(先発31、救援25)、完投22、完封11、31勝14敗 勝率.689、投球回332回1/3 、奪三振311 、防御率1.30 WHIP0.83】

 金田の20年の実働期間の中で、31勝、防御率1.30、完封11は生涯ベストの数字であり、新人長嶋を4連続三振に切って捨てたのも、64回1/3という連続イニング無失点の日本記録を樹立したのもこの年だ。

国鉄で「シーズン31勝」のスゴみ

 西鉄ライオンズの稲尾和久が61年に日本記録タイとなるシーズン42勝を達成した時代に、31勝が自己ベストとは400勝投手にしては物足りなく感じるかもしれないが、全盛期の金田が所属していたのが、万年Bクラスの国鉄だったことを考慮する必要がある。

「打てば三振、守ればエラー」と揶揄された国鉄は、金田が入団する直前の50年1月に設立された球団。社会人の強豪だった各地の鉄道局野球部の選手を中心に編成され、プロ野球経験者は一人しかいないというアマチュア軍団だった。

 金田が巨人に移籍した65年に産経新聞に身売りして国鉄は消滅しており、金田と共に歩んだ15年間の通算成績は833勝1070敗41分(勝率.428)だから、金田の勝ち星が抜群の成績にならないのはやむを得まい。むしろ、この弱小チームにいた15年間で353勝267敗という成績を残した金田は、やはり傑出した投手だったと言えるのではないか。

【次ページ】 圧巻の全盛期…「フォームは岡島秀樹にやや似ている」

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