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佐々木朗希は金田正一25歳を超えうるか? “自称180キロ左腕”の全盛期を見た作家「打者を威圧していた」「岡島秀樹にやや似ている」
text by
太田俊明Toshiaki Ota
photograph byJunichi Haruuchi
posted2022/04/27 11:04
佐々木朗希は、令和の時代に突如出現した“日本プロ野球史上最高の投手”なのか?
金田の時代、エースは3連戦の初戦に先発完投。その上で、第2戦、第3戦でも勝機が見えたらリリーフに立つのが当たり前だった。それもショートリリーフではない。4回、5回と長いイニングを投げるのである。
対して、佐々木は現状週1度の登板。つまり中6日の休養と調整期間を与えられており、かつ球数が100球を超えたら基本お役御免である。もし、若き日の金田が中6日、100球限定で先発したら、いったいどのような投球をしただろうか。
それを推察できるケースが2つある。
ひとつは24歳の金田が完全試合を達成した57年8月21日の中日戦。この試合、完全試合目前の9回一死で、打者のハーフスイングの判定を巡って中日が猛抗議して43分間という長い中断があった。普通ならリズムを崩す場面だが、金田は再開後に対戦した2人の打者を共に3球三振に打ち取り、6球で完全試合を達成してみせたのである。
もうひとつのケースが、有名なミスタープロ野球・長嶋茂雄のデビュー戦だ。58年4月5日、六大学のスーパースターとして鳴り物入りで巨人に入団した長嶋と開幕戦で対戦したその年25歳の金田は、長嶋をわずか19球で4打席4三振に切って取ったのである。
この二つのケースから分かるのは、全盛期の金田は三振を取ろうと思えばいつでも三振が取れたということだ。完全試合まであと二人となった打者は、必死に球に食らいつこうとしただろう。そして、長嶋は新人とはいえ、この年に本塁打、打点の2冠を獲得し、打率もリーグ2位という抜きんでた好打者だった。これらの打者を全て三振に抑えたことは、ここぞの場面で全力を出した全盛期の金田の力量が、打者を完全に凌駕していたことを示すものだ。
“基準”は金田正一25歳の成績?
このように、通算成績で比較するのは現代の投手に対してフェアではない。かといって、短期間の成績で比較するのは昭和中期までの投手に対してフェアではない。
私は、時代の異なる投手の力量を比較するのに、“その投手の最高の1シーズンの成績”を比較するのが、完全とは言えないまでも、比較的フェアなのではないかと考えている。
具体的に、全投手の目標になりそうな金田の“最高の一年”を見てみよう。