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「悲恋の極北です」氷上の哲学者・町田樹32歳の今…“強烈すぎる個性派スケーター”はなぜ生まれた?「私はちょっとひねくれているので」
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byAsami Enomoto
posted2022/04/15 11:00
ソチ五輪5入賞、世界選手権銀メダル獲得など輝かしい成績を残した元フィギュアスケーターの町田樹。32歳になった町田のもとを訪ねた
例えば、2014-2015シーズンのグランプリシリーズ開幕前の記者会見ではシーズンのテーマに「極北」を掲げた。
「ショートプログラムは『悲恋の極北』、フリーが『シンフォニックスケーティングの極北』」
時に“町田語録”と紹介されることもあったこれらの言葉も、町田ならではの考えから生まれたものだった。
「私はちょっとひねくれているので。そういう意味では『この競技会どうですか』『はい、頑張ります』みたいな、ありきたりのことを言いたくないという性格なんです(笑)。競技会で頑張るのは当たり前だからそんなことを語っても何の価値もない。何を語るべきか、どういう言葉で語るべきか、ということを常日頃から考えていました」
それは氷上の内外で、フィギュアスケートを、己の求める道を突き詰めようとしていた姿勢の一端でもある。そしてその成果が数々のプログラムとして体現されていたことがあらためて実感される。
「アスリートもプロフェッショナルなんです」
そして、自らが妥協なく歩んできたからこそだろう。以前に町田は、フィギュアスケーターのタレント像が注目されて消費されていることへの違和感を投げかけたことがある。
「タレントとして認識されるのは、別に悪いことではないと思うんですよね」
そう前置きして、その真意を教えてくれた。
「説明しづらいのですが、違和感というよりもそればかりが先行しすぎると、アスリートでなくなるというか……。
今、私は大学教員としてまだ新米ですけれども、博士号を取得してプロフェッショナルとして仕事しているわけですよね。それで言うと、アスリートもプロフェッショナルなんです。長い間努力を積み重ねて、人並み外れた技能でもってパフォーマンスを発揮し、競技会に出る。そして観る人にパフォーマンスを提供する。そういう意味でタレントとはまた違う。もっとプロフェッショナルとしてしっかり見ていただきたいという思いはあったかもしれないですね。もちろん、アスリートの方からタレントの方へと歩み寄っていくのは個人の価値観ですし何も否定しないですけれども」
忘れがたい演技とともに競技人生を駆け抜けた町田樹は、競技から退いたあと、研究者として歩んできた。
その道を見出したのもまた、フィギュアスケーターとしての真摯な姿勢あればこそだった。
撮影=榎本麻美
〈#2、#3に続く〉
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