オリンピックへの道BACK NUMBER
「悲恋の極北です」氷上の哲学者・町田樹32歳の今…“強烈すぎる個性派スケーター”はなぜ生まれた?「私はちょっとひねくれているので」
posted2022/04/15 11:00
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
Asami Enomoto
氷上で見せてきた姿からすると、意外なことを言う。
「幼少期の頃、とても人見知りで自己表現がまったくできない人間だったんですよ」
穏やかな表情で語るのは、町田樹である。
競技から退いて7年以上が経つ今日も、その名と演技はフィギュアスケート界に強く刻まれている。
大会の1年前には「代表候補の6番手」と評価される位置にいながらそれを覆し、2014年のソチ五輪に出場した。5位入賞を果たすと同シーズンの世界選手権では銀メダルを獲得した。鮮烈な1年を過ごし、翌シーズン、4位となった全日本選手権の会場で引退を発表した。
その後、アイスショーで活躍するかたわら研究者の道へと進み、現在は國學院大学で助教を務める。
2018年10月6日にプロを引退して以来、アイスショーのリンクには立っていない。それでもスケーターとして残してきた演技の記憶は風化することがない。町田ならではの表現とともに築かれた世界があった。それを思えば、「自己表現がまったくできなかった」というのは意外な感があった。
「学校でも手を挙げられない、何か発言をしようとすると心臓ばくばくで倒れそうになってしまうくらい。そういう子どもでした」
だからこそ、スケートの道を究めようとしたのかもしれない。次の言葉はそう思わせた。
「スケートをしてみると、自然となんの恥ずかしさもなく、なんでも表現できるという快感がありました。例えば体育の授業でダンスをするのは全然できないけど、氷の上では自然と音楽に乗って踊ることができる。本質的には同じ行為をしているのだけれども、陸でできなかったことが氷上ではできたんです。自分でも不思議なのですが、そういう経験を通してフィギュアスケートの魅力に取りつかれていったように思います」
この原体験によって、町田はスケーターとしてのキャリアを貫くことになった。
「私のフィギュアスケート人生は谷ばっかりだった」
「自由に自己表現ができる快感から私のフィギュアスケーターライフが始まっているので、勝ち負けよりも先に、踊ったり表現したりすることからフィギュアスケートを愛した。だから私は芸術性や表現面に重きを置いて、このスポーツと向き合ってきたのかなと思いますね」
ただ、愛するばかりではなかった。
「でも一方で、小中高とフィギュアスケートがあまり好きじゃなかったんですよね。結構辛かった(笑)。負けることもたくさんあるし、上手くいかないこともたくさんある。……というか、私のフィギュアスケート人生は谷ばっかりだったんですよね。なので、本当に自暴自棄になってしまうこともあって」
やがて葛藤は深くなっていった。